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法人成りは所得いくらから得?
税金と社会保険料で「本当の手取り」を比べる個人事業主の法人化タイミング
| 【この記事の結論】 ✔ 法人化すると、所得税・住民税の負担は大きく下がります。利益1,200万円のモデルケースでは、税金だけで年間約147万円の差が出ます。 ✔ ただし法人化すると社会保険(健康保険・厚生年金)への加入が義務になり、保険料が増えます。同じケースでは、保険料の増加と運営コストを差し引いた実際の手取り増は約19万円です。 ✔ よく言われる「所得800万円が目安」は税金だけを見た話です。社会保険料まで含めると、利益(事業所得)1,000万円前後が本格的な検討ラインというのが実務上の結論です。 ✔ 法人化の本当の価値は、節税額そのものよりも、退職金の準備・家族への所得分散・信用力の向上といった「将来の選択肢」が広がる点にあります。 |
「売上が伸びてきたから、そろそろ法人にした方がいいと言われた」「でも、会社にすると手続きや税理士費用が増えて、かえって損をするのでは?」――個人事業主の方から、最も多く寄せられるご相談の一つです。
実は、ネットや知人から聞く「所得○○万円を超えたら法人化」という話の多くは、社会保険料を計算に入れていません。そのため、言われるまま法人化して「思ったほど手取りが増えない」と後悔するケースが後を絶ちません。
この記事では、法人成りの仕組み、メリット・デメリット、見落としがちな落とし穴を解説したうえで、税金と社会保険料をすべて含めた「本当の手取り」を具体的な数字で比較します。読み終えるころには、ご自身がいま法人化すべきかどうか、判断の物差しを持てるはずです。
法人成りとは?個人事業との違いを「お財布」で理解する
結論として、法人成りとは、個人で営んでいた事業を、新しく設立した会社に引き継いで続けることです。
個人事業と法人の根本的な違い
個人事業では、事業のお金とあなた自身のお金は「同じお財布」です。もうけはすべてあなたの所得になり、そこに所得税と住民税がかかります。
一方、法人を作ると、会社のお財布とあなたのお財布が分かれます。会社はもうけの中からあなたに「役員報酬」というお給料を払い、残ったもうけには法人税がかかります。あなたは会社から受け取ったお給料に対して所得税と住民税を払います。この「お財布を2つに分ける」ことが、法人化で税金が下がる仕組みの出発点です。
| [画像指示:個人事業は財布が1つ、法人化すると「会社の財布」と「社長の財布」の2つに分かれ、役員報酬で橋渡しする様子を示す図解 / キャプション:法人化の本質は、1つのお財布を2つに分けることです] |
税金が下がる3つの理由
■ 理由1:税率の構造が違う
個人の所得税は、もうけが増えるほど税率が上がる「累進課税」です。住民税と合わせると最高55%に達します。これに対して中小企業の法人税等は、所得800万円以下の部分で約25%、それを超える部分でも約34%程度にとどまります。
▼ 個人と法人の税率の比較(所得が増えたときに追加でかかる税率の目安)
| 課税される所得 | 個人(所得税+住民税) | 法人(中小法人の実効税率) |
| 195万円以下 | 15% | 約25%(所得800万円以下) |
| 195万〜330万円 | 20% | 約25% |
| 330万〜695万円 | 30% | 約25% |
| 695万〜900万円 | 33% | 約25%〜34%(800万円超は約34%) |
| 900万〜1,800万円 | 43% | 約34% |
| 1,800万〜4,000万円 | 50% | 約34% |
| 4,000万円超 | 55% | 約34% |
※個人の税率は所得税率+住民税10%(復興特別所得税を除く)。個人は業種により別途個人事業税(原則5%)がかかります。法人の実効税率は地域や事業規模で異なる概算です。
■ 理由2:役員報酬に「給与所得控除」が使える
給与所得控除とは、会社員などのお給料から、必要経費の代わりに一定額を自動的に差し引ける仕組みです。社長が自分の会社から受け取る役員報酬にもこの控除が使えます。会社側では報酬が経費になり、個人側でも控除が引ける。いわば「経費を二度引ける」ような効果が生まれます。
■ 理由3:所得を分散できる
もうけを「社長の報酬」「会社の利益」、さらに実際に働く家族への報酬に分けることで、それぞれに低い税率が適用されます。1人に所得が集中するほど税率が上がる累進課税を、分散によって避けられるのです。
法人化のメリット・デメリット
結論として、メリットは「税率・控除・将来の備え」、デメリットは「社会保険料・コスト・手間」です。どちらが大きいかは、利益の水準で決まります。
▼ 法人成りのメリット・デメリット一覧
| 観点 | メリット | デメリット |
| 税金 | 高所得層ほど税率が下がる/給与所得控除が使える | 赤字でも法人住民税の均等割(最低年7万円程度)がかかる |
| 社会保険 | 厚生年金で将来の年金が手厚くなる | 社長1人でも加入義務があり、会社負担分も含め保険料が増える |
| 将来の備え | 役員退職金を経費にでき、受け取る側も税負担が軽い | ― |
| 赤字の繰越 | 赤字を10年間繰り越せる(個人の青色申告は3年) | ― |
| 信用力 | 取引先や金融機関からの信用が高まりやすい | ― |
| コスト・手間 | ― | 設立費用、税理士報酬、社会保険の事務などが増える |
| お金の自由度 | ― | 会社のお金を自由に引き出せない(役員報酬は原則年1回しか変更できない) |
見落としがちな最大のポイント:社会保険料
法人は、社長1人だけの会社でも、役員報酬を払う以上、健康保険と厚生年金への加入が法律上の義務です。保険料は報酬のおよそ3割にもなり、そのうち半分を会社が、半分を社長個人が負担します。社長の会社なので、実質的には全額を自分で払っているのと同じです。
個人事業主のときに払っていた国民健康保険と国民年金と比べると、多くの場合、保険料の総額は増えます。ここを計算に入れずに「税金が○○万円下がる」とだけ説明されて法人化するのが、最も典型的な失敗パターンです。
| 💡 税理士の実務視点:社会保険料は「ただのコスト」ではない 厚生年金の保険料は、将来の年金として一部が戻ってきます。国民年金だけの場合と比べ、老後の年金額は確実に増えます。また、健康保険には病気やけがで休んだときの「傷病手当金」があり、国民健康保険にはない保障です。 つまり社会保険料の増加は、「消える税金」ではなく「将来への積立と保障」の側面を持ちます。手取りの損得と、老後・万一の保障のバランスで判断するのが正しい考え方です。 |
実務上の注意点・法人化で陥りやすい5つの罠
結論として、法人化のメリットを最大限に活かすには、設立前の設計で8割が決まります。
■ 罠1:役員報酬を後から自由に変えられない
役員報酬を経費にするには、原則として事業年度の開始(設立)から3か月以内に金額を決め、毎月同じ額を支払う必要があります。これを定期同額給与といいます。「もうかったから期末に報酬を増やす」ことはできません。報酬額の設計は、1年分の利益予測をもとに慎重に決める必要があります。
■ 罠2:「消費税2年免税」はもう当てにできない
資本金1,000万円未満で会社を作ると、原則として最初の2期は消費税の納税義務が免除されます。しかしインボイス制度のもとで、取引先のためにインボイス発行事業者の登録をすると、免税期間中でも消費税を納めることになります。法人化による消費税メリットは、取引先の状況次第で大きく縮小しています。
■ 罠3:会社のお金を個人的に使えない
会社のお金を社長が勝手に使うと、「役員への貸付金」や「役員賞与」として扱われ、余分な税金がかかることがあります。個人事業のころの感覚で財布を混同しないことが大切です。
■ 罠4:法人化の時期によって損をする
年の途中で法人化すると、その年の個人事業の所得と役員報酬の両方に所得税がかかります。また、個人事業で使っていた車や設備を会社に引き継ぐ方法(売買か、賃貸か)によっても税金が変わります。決算期(事業年度)の選び方と合わせて、いつ法人化するかを計画的に決めましょう。
■ 罠5:会社に残したお金を取り出すときにも税金がかかる
会社に残した利益は、社長が自由に使えるお金ではありません。配当として受け取れば、配当に税金がかかります。会社に貯めたお金を効率よく個人に移す手段の代表が、退職時に受け取る役員退職金です。法人化の段階から、退職金の準備まで含めた長期の設計が重要です。
法人成りの進め方:6つのステップ
結論として、「試算→設計→設立→届出→個人事業の整理→報酬決定」の順で進めます。特に届出には期限があるものが多いため注意が必要です。
▼ 個人事業主が法人化するまでの流れ
| STEP 1 手取りシミュレーションを行う |
税金だけでなく社会保険料・設立費用・運営コストを含めて、法人化の損得を試算します。
▼
| STEP 2 会社の形・決算期・役員報酬を設計する |
株式会社か合同会社か、何月決算にするか、報酬をいくらにするかを決めます。
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| STEP 3 定款を作成し、設立登記をする |
株式会社は定款認証と登録免許税(最低15万円)などで約20万〜25万円、合同会社は約6万〜10万円が目安です。
▼
| STEP 4 税務署・都道府県・市区町村・年金事務所へ届け出る |
法人設立届出書(設立から2か月以内)、青色申告の承認申請書(原則3か月以内)、社会保険の新規適用届(5日以内)などを提出します。
▼
| STEP 5 個人事業を整理する |
個人事業の廃業届(1か月以内)を出し、銀行口座・契約・車両や設備などを会社に移します。
▼
| STEP 6 役員報酬を決定し、毎月同額で支給する |
設立から3か月以内に株主総会等で報酬額を決め、議事録を残します。
| ⚠ 青色申告の承認申請は特に要注意 法人の青色申告承認申請書は、原則として設立日から3か月以内、または第1期の終了日の前日のいずれか早い日までに提出が必要です。出し忘れると1期目の赤字を繰り越せないなどの大きな不利益があります。 |
具体的なシミュレーション:利益1,200万円の個人事業主が法人化したら
結論として、このケースでは税金が年間約147万円減る一方、社会保険料が約98万円増え、運営コスト約30万円を差し引いた手取りの増加は約19万円です。
ケース設定
- 売上3,000万円、経費1,800万円、利益1,200万円の個人事業主(青色申告65万円控除)
- 個人事業時代の国民健康保険料+国民年金保険料:約110万円と仮定
- 法人化後の役員報酬:年720万円(月60万円)
- 社会保険料は報酬の約29%(会社・個人で約104万円ずつ)と仮定
- 法人化で増える運営コスト(税理士報酬の増加分など):年30万円と仮定
▼ 個人事業のままの場合と法人化した場合の比較(年額・概算)
| 項目 | 個人事業のまま | 法人化した場合 |
| 所得税(復興特別所得税を含む) | 約169.0万円 | 約33.1万円 |
| 住民税 | 約98.2万円 | 約39.1万円 |
| 個人事業税 | 約45.5万円 | ― |
| 法人税・法人住民税等(均等割含む) | ― | 約93.5万円 |
| 税金の合計 | 約312.7万円 | 約165.7万円 |
| 社会保険料(会社負担分+本人負担分) | 約110万円 | 約208万円 |
| 増える運営コスト | ― | 約30万円 |
| 社長個人の手取り | 約777.3万円 | 約543.8万円 |
| 会社に残るお金(税引後) | ― | 約252.5万円 |
| 手取り+会社に残るお金 | 約777.3万円 | 約796.3万円(約19万円増) |
※基礎控除58万円で計算し、令和7・8年分の基礎控除上乗せ特例、事業税の翌年経費算入、その他の所得控除は考慮していません。法人税等は中小法人の実効税率約25%で概算しています。
数字から読み取れる3つのポイント
- 税金は約147万円下がる:法人化の税率・控除の効果は非常に大きいことが分かります。
- 社会保険料が約98万円増える:税金の減少分の3分の2近くが、保険料の増加で相殺されます。
- 会社に約252万円が残る:このお金は社長が自由に使えるわけではありませんが、将来の役員退職金や設備投資、不況時の備えとして活用できます。
| 💡 税理士の実務視点:同じ法人化でも「設計」で結果は変わる 今回の試算は、役員報酬を1つの金額に固定した単純なモデルです。実務では、役員報酬の金額、実際に働く配偶者への報酬、役員退職金の積立、生命保険の活用などを組み合わせることで、手取りと将来の備えのバランスを最適化します。 利益が1,500万円、2,000万円と増えるほど、法人化の効果は加速度的に大きくなります。逆に利益が800万円程度だと、社会保険料の増加で手取りが減ることもあります。「いくらなら得か」は、ご本人の年齢・家族構成・将来設計で変わるため、個別の試算が欠かせません。 |
よくある質問(FAQ)
Q. 株式会社と合同会社、どちらで法人化すべきですか?
A. 税金の計算は株式会社も合同会社も同じです。設立費用を抑えたい、取引先が個人中心で対外的な見え方にこだわらない場合は合同会社、将来の資金調達や採用、大企業との取引で信用を重視する場合は株式会社が向いています。後から合同会社を株式会社に変更することも可能です。
Q. 社長1人の会社でも、社会保険に入らなければいけませんか?
A. はい、役員報酬を支払う以上、社長1人の会社でも健康保険と厚生年金への加入は法律上の義務です。加入しないことは認められません。そのため、法人化の損得は必ず社会保険料を含めて判断してください。
Q. 役員報酬を途中で上げたり下げたりできますか?
A. 原則として、事業年度開始から3か月以内に決めた金額を、その年度中は毎月同額で支払う必要があります。途中で変更すると、変更分が経費として認められないことがあります。業績の著しい悪化など、例外的に減額が認められるケースもありますが、要件は厳格です。
Q. 赤字の年でも、法人には税金がかかりますか?
A. はい。法人住民税の「均等割」は、利益がなくても毎年かかります。資本金1,000万円以下・従業員50人以下の会社で、地域により異なりますが年間7万円程度が目安です。
Q. 法人化するなら、何月に会社を作るのが良いですか?
A. 一概には言えませんが、繁忙期と決算期が重ならないようにすること、個人事業の最後の年の所得と役員報酬が二重に課税される期間を短くすることがポイントです。個人事業の所得が多い年ほど、年初に近い時期の法人化が有利になりやすい傾向があります。具体的な時期は試算のうえで決めましょう。
まとめ:法人化は「税金」ではなく「手取りと将来設計」で判断する
この記事の要点を3行でまとめます。
- 法人化で税金は大きく下がるが、社長1人でも社会保険の加入が義務になり、保険料が増える。
- 社会保険料まで含めると、利益1,000万円前後が本格的な検討ライン。「所得800万円」は税金だけを見た目安にすぎない。
- 成否を分けるのは設立前の設計。役員報酬・家族への報酬・退職金の準備まで含めて計画すべき。
法人化は、一度決めると簡単には元に戻せない経営判断です。税金だけで判断すると、社会保険料や運営コストで思わぬ負担増になりかねません。
私たちは、税理士と社会保険労務士が一つのチームとして、税金と社会保険の両方を踏まえた法人化シミュレーションを行います。設立後も、定期的な訪問による巡回監査で経理と役員報酬の設計を見守り、国税OBの知見を活かした税務調査への備えまで一貫してサポートします。65年にわたり地域の経営者と歩んできた経験をもとに、「法人化してよかった」と思える会社づくりをお手伝いします。
| 【この記事の結論】 ✔ 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 ✔ 「自分の場合は法人化すべきか」を、税金と社会保険料を含めた手取りで試算するご相談から承っています。 |
決算賞与で節税は本当にできる?
社長と従業員で違う損金ルールと社会保険料の落とし穴を税理士・社労士が解説
「今期は思ったより利益が出そう。税金で持っていかれるくらいなら、頑張ってくれた社員にボーナスを出したい」――決算が近づくと、多くの経営者の方からこのご相談をいただきます。気持ちはとてもよく分かります。ところが、決算賞与は出し方をひとつ間違えるだけで、税金が1円も減らないどころか、社員との関係までこじれてしまうことがある、意外と奥の深い対策です。
この記事では、決算賞与で本当に税金を減らすための条件、社長・役員に出してはいけない理由、そして見落とされがちな社会保険料と就業規則の落とし穴までを、税金と労務の両方の目線から、中学生でも分かる言葉で解説します。12月決算・3月決算の会社なら、今から準備すれば十分に間に合います。
| 【結論】 決算賞与とは、その期の業績に応じて決算前後に支給するボーナスのことです。従業員に出す分は、ルールを守れば今期の経費(損金)にできます。決算日までに支払えない場合でも、①決算日までに全員へ個別に金額を通知 ②決算日の翌日から1か月以内に支払う ③今期の帳簿に未払計上する――の3つを満たせば今期の経費になります。社長・役員への決算賞与は原則として経費になりません。節税どころか、会社と個人で二重に税金がかかります。決算賞与は「税金を減らす道具」ではなく「社員への投資」です。税金が減っても、会社のお金はそれ以上に出ていくことを前提に判断しましょう。 |
決算賞与とは? 普通のボーナスとの違いを知ろう
結論から言うと、決算賞与は「期末に利益の見込みが立ってから、金額を決めて出すボーナス」です。夏・冬の定例ボーナスとの一番の違いは、支給するかどうか・いくらにするかを、決算直前に決められる点にあります。
決算賞与の定義
決算賞与とは、会社の事業年度の業績(利益)に応じて、決算期末の前後に従業員へ支給する臨時のボーナスのことです。法律上の特別な制度名ではなく、税金のルールの上では普通の「賞与」と同じように扱われます。
身近な例えで考えてみましょう。家族でお店を手伝ってくれた子どもに、年末に「今年は売上が良かったから、お小遣いを上乗せするね」と渡すのが決算賞与のイメージです。夏休みに毎年決まって渡すお小遣い(定例賞与)とは違い、その年の出来栄えを見てから決められるのが特徴です。
なぜ「節税になる」と言われるのか
会社の税金(法人税・住民税・事業税)は、利益=売上-経費に対してかかります。従業員への賞与は経費(税金の世界では「損金(そんきん)」と呼びます)になるので、賞与を出した分だけ利益が減り、税金も減ります。
損金とは、法人税を計算するときに、利益から差し引くことが認められる費用のことです。会計上の「費用」とほぼ同じですが、税法独自のルールで「費用だけど損金にならない」ものがある点に注意が必要です。決算賞与の落とし穴は、まさにこの「損金にならない」ケースに潜んでいます。
| [画像指示:売上-経費=利益、利益×税率=税金の関係を、リンゴ販売のお店で表した図解イラスト / キャプション:賞与を経費にできれば利益が減り、その分だけ会社の税金も減る] |
決算日までに払えなくても大丈夫? 未払賞与を経費にする3つの条件
結論として、決算日までに実際に支払っていなくても、3つの条件をすべて満たせば今期の経費にできます。逆に、1つでも欠けると経費になるのは「実際に払った翌期」になり、今期の節税効果はゼロです。
未払賞与とは
未払賞与とは、支給額は決まっているものの、決算日の時点でまだ支払っていない賞与のことです。帳簿に「未払金」として載せておき、翌期に支払います。
お店の「ツケ払い」を思い浮かべてください。今月リンゴを仕入れて「代金は来月払います」と約束した場合、金額がはっきりしていて、相手にも伝わっていて、すぐ払うのであれば、今月の仕入れとして家計簿に書いても問題ありませんよね。未払賞与も同じ考え方で、「金額が確定し、本人に伝わり、すぐ払う」ことが条件になります。
法人税法で定められた3つの要件
法人税法施行令では、使用人(従業員)への賞与を「通知した期」の損金にするための要件を、次のように定めています。
| 要件 | 内容 | 実務でのチェックポイント |
| ① 個別通知 | 支給額を各人別に、かつ同じ時期に支給を受ける全員に、決算日までに通知していること | 一部の人だけへの通知、「総額○万円」だけの発表はNG。書面・メールで個人別の金額を伝え、受領の記録を残す |
| ② 1か月以内の支払 | 通知した金額を、通知した全員に、決算日の翌日から1か月以内に支払っていること | 12月決算なら翌年1月31日まで。通知額より少ない支払いや、遅れは要件を満たさない |
| ③ 損金経理 | 通知した期の決算で、その賞与を費用として帳簿に計上していること | 決算整理で「賞与/未払金」の仕訳を必ず入れる。計上漏れは後から取り戻せない |
表1:未払賞与を今期の損金にするための3要件
最大の罠:「支給日に在籍している人だけに払う」という条件
ここが実務で最も多い失敗です。多くの会社の就業規則や賃金規程には「賞与は支給日に在籍する者に支給する」という一文(支給日在籍要件)が入っています。この条件付きで決算賞与を通知すると、「支給日までに辞めた人には払わない=決算日の時点では金額が確定していない」と判断され、未払計上が認められないという考え方が、国税庁から示されています。
| こんなケースは要注意 通知書に「支給日に在籍していることを条件とします」と書いた就業規則の賞与規定に支給日在籍要件があり、決算賞与だけの例外規定がない「総額500万円を、業績貢献に応じて後日配分します」とだけ伝えた繁忙期で、決算日を過ぎてから通知した(通知日がさかのぼって作られた書類は、税務調査で特に厳しく見られます) |
| 税理士・社労士の実務視点 労務の世界では、支給日在籍要件は「辞める人に賞与を払わずに済む」ための一般的な規定です。一方、税務の世界ではこの規定が未払計上の障害になります。税金と労務のルールが正面からぶつかる典型例です。 解決策は2つあります。1つは決算日までに実際に支払ってしまうこと(未払計上の問題自体が生じません)。もう1つは、賃金規程に「決算賞与は通知をもって支給額を確定し、支給日前に退職した者にも支払う」という決算賞与専用の条文を置くことです。規程の変更は従業員代表の意見聴取や労働基準監督署への届出が必要になるため、決算の2〜3か月前には着手しておくのが安全です。 |
社長・役員への決算賞与はなぜ経費にならないのか
結論として、社長や取締役などの役員に出す決算賞与は、原則として損金になりません。「利益が出たから社長の自分にボーナスを」という発想は、最も避けるべき決算対策です。
理由は「後出しジャンケン」を防ぐため
役員は自分たちで自分の報酬を決められる立場にあります。もし決算直前に役員賞与を自由に経費にできたら、「利益が出た年は社長にボーナスを出して税金をゼロにする」という後出しジャンケンが可能になってしまいます。そこで税法は、役員の報酬について「あらかじめ決めた金額を、決めたとおりに払ったもの」だけを損金と認めるルールにしています。
役員報酬で損金になる3つのパターン
| 種類 | どんなものか | 決算賞与として使えるか |
| 定期同額給与 | 毎月同じ額を支払う役員報酬。改定は原則として期首から3か月以内 | 使えない(毎月の額を期中に増やしても増額分は損金不算入) |
| 事前確定届出給与 | 支給時期と金額を事前に税務署へ届け出て、そのとおり支給する役員賞与 | 今期分は使えない(届出期限は原則、株主総会等の決議から1か月以内と期首から4か月以内のいずれか早い日) |
| 業績連動給与 | 利益などの指標に連動して支給額が決まる報酬 | 同族会社(多くの中小企業)は原則として使えない |
表2:役員報酬が損金になる3パターンと決算賞与への適用
事前確定届出給与は、届け出た金額と1円でも違えば(多くても少なくても)、原則としてその支給額の全額が損金にならないという厳しい制度です。業績が読めない年に高めの金額で届け出て、払えなくなるケースも珍しくありません。
使用人兼務役員の「従業員分」にも注意
部長などの肩書きを持ち、従業員としても働いている役員(使用人兼務役員)の「従業員としての賞与」は、損金にできる場合があります。ただし、他の従業員と同じ時期に支給しなければ、役員賞与として損金不算入になります。また、社長・副社長・代表取締役、同族会社の一定の大株主などは、そもそも使用人兼務役員になれません。
見落としがちな社会保険料と労務のルール
結論として、決算賞与には税金だけでなく会社負担・本人負担それぞれ約15%前後の社会保険料がかかります。さらに、一度出した決算賞与は労務上「取り消せない約束」になる点にも注意が必要です。
賞与にかかる社会保険料の仕組み
賞与からは、健康保険・介護保険(40歳以上)・厚生年金・雇用保険の保険料が差し引かれ、会社も同程度の額を負担します。保険料は標準賞与額(賞与額の1,000円未満を切り捨てた額)に保険料率を掛けて計算します。
| 項目 | ルールの概要 |
| 標準賞与額の上限 | 健康保険は年度(4月〜翌3月)の累計573万円、厚生年金は1か月あたり150万円が上限 |
| 届出 | 支給日から5日以内に「被保険者賞与支払届」を年金事務所(または健康保険組合)へ提出 |
| 年4回以上の支給 | 同じ性質の賞与を年4回以上支給すると「賞与」ではなく毎月の「報酬」扱いとなり、標準報酬月額に反映される |
| 会社負担の損金時期 | 保険料の対象となる月(=賞与の支給月)の属する期の損金。未払計上した決算賞与の会社負担分は、原則として翌期の損金になる |
表3:決算賞与にかかる社会保険料の主なルール
最後の行は、税理士でも見落としがちなポイントです。決算賞与を未払計上して翌月に支払う場合、賞与本体は今期の損金になっても、会社負担の社会保険料は支給月が属する翌期の損金になります。今期の節税額を試算するときは、この点を必ず反映させましょう。
「毎年もらえるもの」と思われないための就業規則
決算賞与を何年も続けて同じように支給していると、社員にとっては「毎年もらえるのが当たり前」になり、業績が悪い年に支給をやめるとトラブルになりかねません。就業規則・賃金規程には、「会社の業績に応じて支給する。業績によっては支給しないことがある」と明記し、毎回の通知書にも同じ趣旨を書いておくことをおすすめします。
また、パート・アルバイトなど短時間・有期で働く人への支給の有無や金額差は、同一労働同一賃金のルール(パートタイム・有期雇用労働法)との関係で「不合理な差」と言われないよう、貢献度など合理的な基準で説明できるようにしておく必要があります。
| 税理士・社労士の実務視点 決算賞与は、税務と労務と社会保険が一度に動く「三位一体」の手続きです。経理は未払計上、総務は通知書と規程、社会保険は賞与支払届――と担当がバラバラになると、どこかで抜け漏れが起きます。税金・労務・社会保険を1つのチェックリストで管理することが、失敗しない最大のコツです。 |
決算賞与で失敗しないための7ステップ
結論として、決算賞与は決算日の3か月前から逆算して動くのが理想です。12月決算なら10月、3月決算なら1月がスタートの目安です。
| STEP 1 | 業績の着地見込みを立てる(決算3か月前) 月次決算をもとに、今期の利益と納税額の見込みを試算します。資金繰り(来期の運転資金・納税資金)も同時に確認します。 |
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| STEP 2 | 支給総額と配分ルールを決める 利益見込みと手元資金から総額を決め、評価や勤続など配分の基準を決めます。社会保険料の会社負担(約15%前後)も予算に入れます。 |
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| STEP 3 | 就業規則・賃金規程を確認する 支給日在籍要件の有無、決算賞与の根拠規定を確認。必要なら規程を変更し、労働基準監督署へ届け出ます。 |
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| STEP 4 | 決算日までに全員へ個別に通知する 支給を受ける全員に、個人別の金額を書面またはメールで通知し、受領の記録を残します。 |
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| STEP 5 | 決算で未払計上(損金経理)する 決算日までに支払わない場合は、「賞与/未払金」を今期の帳簿に計上します。 |
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| STEP 6 | 決算日の翌日から1か月以内に支払う 通知した金額どおり、通知した全員に支払います。源泉所得税は原則として翌月10日までに納付します。 |
▼
| STEP 7 | 社会保険の届出をする 支給日から5日以内に被保険者賞与支払届を提出します。給与計算ソフトの賞与データとの一致も確認します。 |
図:決算賞与の実務フロー(12月決算なら10月スタートが目安)
| [画像指示:決算日を中心に、3か月前〜1か月後までのスケジュールを時間軸で示したタイムライン図 / キャプション:「通知は決算日まで」「支払は翌日から1か月以内」の2つの期限が最重要] |
シミュレーション:従業員10名の会社が決算賞与500万円を出したら
結論として、決算賞与で会社の税金は確かに減りますが、減る税金より、会社から出ていくお金のほうが必ず大きいことが数字で分かります。
前提条件
- 12月決算の中小企業、従業員10名
- 決算前の利益見込み:1,500万円
- 従業員10名に1人50万円、総額500万円の決算賞与を支給
- 会社負担の社会保険料:賞与額の約15%(75万円)と仮定
- 法人税・住民税・事業税の合計税率(実効税率):概算で約30%と仮定(計算を分かりやすくするための簡便な仮定です)
3つのパターンの比較
| 項目 | A:何もしない | B:決算月中に支給 | C:未払計上し翌月支給 |
| 当期の損金 | 0円 | 575万円(賞与500+保険料75) | 500万円(保険料75は翌期) |
| 当期の課税所得 | 1,500万円 | 925万円 | 1,000万円 |
| 当期の税金(約30%) | 450万円 | 277.5万円 | 300万円 |
| 当期の税金の減少額 | - | ▲172.5万円 | ▲150万円(翌期に保険料分の効果) |
| 会社から出るお金(賞与+保険料) | 0円 | 575万円 | 575万円(翌月支払) |
| 差引:会社の手元資金の減少 | - | 402.5万円 | 425万円(翌期に22.5万円戻る計算) |
表4:決算賞与の有無による税金と手元資金の比較(概算)
パターンBでは税金が172.5万円減りますが、会社からは575万円が出ていくため、差し引き約400万円、会社の手元資金は減ります。「税金を払うより得」なのではなく、「約400万円を社員への投資に回し、その一部を国が税金の減少という形で負担してくれる」と考えるのが正確です。
なお、社員の手取りは、50万円から本人負担の社会保険料(約7.5万円)と源泉所得税(前月の給与額などにより異なります)が差し引かれるため、40万円前後になるのが一般的です。
もし同じ500万円を社長に出したら
事前確定届出をしていない社長に500万円の決算賞与を出すと、500万円は損金になりません(会社負担の社会保険料部分のみ損金)。つまり、会社の法人税等はほとんど減らないうえに、社長個人には所得税・住民税がかかります。同じお金に「会社の税金」と「個人の税金」が二重にかかる、最も避けるべきパターンです。
決算前にできる他の対策との比較
| 対策 | 税金の効果 | お金の流れ | 向いている会社 |
| 従業員への決算賞与 | 支給額+保険料が損金 | 社外(社員)へ出ていく | 社員への還元・定着を強化したい |
| 役員の事前確定届出給与 | 届出どおりの支給なら損金 | 社長個人へ(個人課税あり) | 翌期以降に計画的に設計したい |
| 経営セーフティ共済 | 掛金(月20万円・総額800万円まで)が損金 | 積立として会社に残る(解約時は益金) | 将来の資金繰りに備えたい |
| 必要な設備・備品の前倒し | 取得価額や耐用年数に応じて減価償却 | 資産として会社に残る | 近く買い替え予定の設備がある |
表5:決算前に検討できる主な対策の比較
経営セーフティ共済は、解約後2年以内に再加入した場合の掛金が損金にならないなど、近年ルールが見直されています。どの対策も「会社に必要な支出かどうか」を最優先に判断することが、結果として会社を強くします。
| 税理士・社労士の実務視点 従業員への賞与は、賃上げ促進税制の「給与等支給額」にも含まれます。今期に決算賞与で支給額を大きく増やすと、今期の税額控除には有利に働く一方で、翌期は「前期比で増やす」ハードルが上がります。単年の節税だけでなく、2〜3年先の人件費計画とセットで設計しましょう。 |
よくある質問(FAQ)
Q. パートやアルバイトにも決算賞与を払わないといけませんか?
A. 支給する法的な義務はありません。未払計上の要件にある「全員」とは、同じ時期に支給を受ける全員のことで、従業員全員に払う必要はありません。ただし、正社員との差については同一労働同一賃金の観点から、貢献度など合理的な理由を説明できるようにしておきましょう。
Q. 金額の通知は口頭でもよいのですか?
A. 法律上、通知の方法に決まった形式はありません。しかし税務調査では「決算日までに個人別の金額を通知したか」が確認されるため、実務上は書面やメールで通知し、受け取った記録(受領サインや既読記録)を残すことが必須と考えてください。
Q. 一度決算賞与を出したら、翌年も払わなければいけませんか?
A. 就業規則に「業績に応じて支給し、支給しないことがある」と定め、毎回その趣旨を伝えていれば、翌年の支給義務は生じにくくなります。逆に、規定がなく毎年同じ基準で支給し続けると、労使慣行として支給を求められるリスクがあります。
Q. 社長や役員に決算賞与を出す方法はありませんか?
A. 今期分を損金にする方法は、原則としてありません。役員に賞与を出したい場合は、翌期に事前確定届出給与として期限内に届け出て、届け出た金額どおりに支給する方法を検討します。業績の読み違いに備え、無理のない金額で設計することが大切です。
Q. 決算日を過ぎてしまいました。今からでも決算賞与は間に合いますか?
A. 決算日を過ぎてからの通知では、今期の損金にはなりません。その賞与は支払った期(翌期)の損金になります。決算日をさかのぼった日付の通知書を作ることは、仮装隠ぺいとして重い追徴課税の対象になり得るため、絶対に避けてください。
まとめ:決算賞与は「節税」ではなく「社員への投資」として設計しよう
| この記事の3行まとめ 従業員への決算賞与は、決算日までの個別通知・1か月以内の支払・未払計上の3条件を満たせば今期の経費になる。支給日在籍要件には要注意。社長・役員への決算賞与は原則として経費にならず、会社と個人で二重に課税される。税金は減っても手元資金はそれ以上に減る。社会保険料・就業規則・翌期の人件費計画まで含めて判断する。 |
決算賞与は、上手に使えば社員のやる気と定着を高め、会社の税負担も軽くできる優れた対策です。しかし、未払計上の要件、役員給与の規制、社会保険料、就業規則と、税金と労務の両方にまたがる落とし穴が数多くあります。
| 決算前のご相談は、お早めに 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 当事務所には、国税の現場を知り尽くした国税OBの税理士と、労務・社会保険の専門家である社会保険労務士が在籍しています。決算賞与の要件チェックから、就業規則・賃金規程の見直し、賞与支払届まで、税務と労務をワンストップでサポートできるのが私たちの強みです。 定期的な巡回監査で毎月の数字を一緒に確認しているからこそ、決算の3か月前から「今期はいくらまでなら出せるか」を具体的にご提案できます。12月決算・3月決算の経営者の方は、ぜひ今のうちにご相談ください。 |
最低賃金が上がる10月は給与見直しの分岐点
違反リスクを防ぎ賃上げ促進税制で負担を軽くする経営者の実務ガイド
「また最低賃金が上がるらしいけれど、うちの給料はこのままで大丈夫だろうか」「正社員は月給だから関係ないはず」「人件費が増えるのは分かるが、少しでも負担を減らす方法はないのか」――毎年秋になると、こうしたご相談が一気に増えます。
最低賃金の引き上げは、パート・アルバイトの時給だけの話ではありません。月給制の正社員でも、計算してみると最低賃金を下回っていたというケースは、実務の現場で決して珍しくないのです。しかも、給料を上げれば社会保険料や従業員の「扶養」の問題にも波及します。
この記事では、税金と労務の両方を日々扱う専門家の立場から、①最低賃金チェックの正しいやり方、②賃上げが社会保険・扶養に与える影響、③賃上げ促進税制と助成金で実質負担を軽くする方法を、具体的な数字を使って分かりやすく解説します。
| 【この記事の結論】 ① 月給制でも「時給に換算」して必ずチェックする。手当の一部や残業代は計算に含めないため、思わぬ違反が起きやすいのが実務の実態です。 ② 賃上げは「社会保険料」と「扶養の壁」まで一緒に設計する。給料だけ上げて終わりにすると、会社負担の増加やパートの働き控えを招きます。 ③ どうせ上げるなら「賃上げ促進税制」と「業務改善助成金」を使う。条件を満たせば、増えた人件費の最大45%相当を法人税から差し引けます。助成金は「賃上げ前の申請」が鉄則です。 |
1. 最低賃金とは?まず押さえておきたい基本の仕組み
結論から言うと、最低賃金は「会社と従業員が合意していても、これより安い賃金は無効になる」という強制力のあるルールです。「本人が納得しているから大丈夫」は通用しません。
最低賃金とは
最低賃金とは、最低賃金法にもとづいて国が決める「1時間あたりの賃金の下限額」のことです。
家庭で例えるなら、「お手伝い1時間につき、お小遣いは最低〇〇円」と家のルールで決まっているようなものです。親子で「今回は半額でいいよ」と話し合っても、家のルールのほうが優先されます。最低賃金を下回る約束をした場合、その部分は無効となり、最低賃金額で約束したものとみなされます。
最低賃金には2種類ある
最低賃金には、都道府県ごとに決まる「地域別最低賃金」と、特定の産業に決まる「特定最低賃金(産業別最低賃金)」があります。両方が当てはまる場合は、高いほうの金額を支払わなければなりません。
| 項目 | 地域別最低賃金 | 特定最低賃金 |
| 対象 | その都道府県で働くすべての労働者(パート・アルバイト・学生アルバイト含む) | 特定の産業(一部の製造業など)で働く労働者 |
| 金額の水準 | 基本となる金額 | 地域別より高く設定されるのが一般的 |
| 違反した場合 | 50万円以下の罰金(最低賃金法) | 30万円以下の罰金(労働基準法の賃金全額払い違反) |
| どちらを適用? | 両方が当てはまる場合は、高いほうの金額を適用 |
毎年秋に改定される仕組み
最低賃金は、毎年夏に国の審議会で引き上げの目安が示され、各都道府県で金額が決まり、おおむね10月以降に都道府県ごとの発効日から新しい金額が適用されます。前年度(2025年度)の改定では全国加重平均が1,121円(前年度比66円増)となり、過去最大の引き上げ幅となりました。政府は「2020年代中に全国平均1,500円」という目標を掲げており、今後も大幅な引き上げが続く前提で経営計画を立てることが欠かせません。
なお、近年は都道府県によって発効日が大きく異なり、10月上旬の地域もあれば、翌年に発効する地域もあります。自社の事業所がある都道府県の「金額」と「発効日」の両方を、必ず確認してください。
| [画像指示:日本地図上に都道府県ごとの最低賃金と発効日を色分けで示した図解イラスト / キャプション:最低賃金は都道府県ごとに金額も発効日も異なります] |
| 【ここが落とし穴】 最低賃金は「会社の本社所在地」ではなく「従業員が実際に働く事業所の所在地」で決まります。本社が地方、支店が都市部にある会社では、支店のパートだけ基準が高くなるため、全社一律の時給表を使っていると違反が起きやすくなります。 |
2. 月給制でも油断禁物 最低賃金チェックの正しい計算方法
結論として、月給制の従業員も「月給 ÷ 1か月の平均所定労働時間」で時給に換算し、最低賃金と比べる必要があります。しかも、月給の全額を計算に入れてよいわけではない点が最大の落とし穴です。
計算に「含める賃金」と「含めない賃金」
最低賃金の計算に使うのは、毎月決まって支払われる基本的な賃金だけです。リンゴ農家で例えるなら、「毎月の基本の手間賃」は数えますが、「たまたま多く収穫できた月のボーナス」や「遠くの畑まで通う交通費」は数えない、というイメージです。
| 区分 | 具体例 | 最低賃金の計算 |
| 含める賃金 | 基本給、職務手当、役職手当、資格手当など毎月決まって支払う手当 | 含める |
| 含めない賃金① | 時間外・休日・深夜の割増賃金(固定残業代を含む) | 含めない |
| 含めない賃金② | 通勤手当、家族手当、精皆勤手当 | 含めない |
| 含めない賃金③ | 賞与など1か月を超える期間ごとに支払う賃金 | 含めない |
| 含めない賃金④ | 結婚手当など臨時に支払う賃金 | 含めない |
最低賃金チェックの5ステップ
月給制の従業員の最低賃金チェック手順
| STEP 1 年間の所定労働日数を出す 365日(うるう年は366日)から年間休日数を引きます。 |
▼
| STEP 2 1か月の平均所定労働時間を出す 「年間所定労働日数 × 1日の所定労働時間 ÷ 12か月」で計算します。 |
▼
| STEP 3 計算に含める賃金を集計する 基本給+毎月決まった手当だけを合計し、残業代・通勤手当・家族手当・精皆勤手当は除きます。 |
▼
| STEP 4 時給に換算する 「含める賃金の合計 ÷ 1か月の平均所定労働時間」で時給を出します。 |
▼
| STEP 5 最低賃金と比べる 事業所の都道府県の最低賃金(特定最低賃金があれば高いほう)以上かを確認します。発効日以降の給与から適用します。 |
■ 計算例:月給18万円の正社員は大丈夫?
年間休日105日、1日8時間勤務、月給18万円(基本給16万円+職務手当2万円)、別に通勤手当1万円を支給している正社員で計算してみます。仮に、この地域の最低賃金を1,100円とします。
| 計算項目 | 計算式 | 結果 |
| 年間所定労働日数 | 365日 − 105日 | 260日 |
| 1か月の平均所定労働時間 | 260日 × 8時間 ÷ 12か月 | 約173.3時間 |
| 計算に含める賃金 | 基本給16万円 + 職務手当2万円(通勤手当は除く) | 180,000円 |
| 時給換算額 | 180,000円 ÷ 173.3時間 | 約1,038円 |
| 判定(最低賃金1,100円の場合) | 1,038円 < 1,100円 | 違反(月約1.1万円不足) |
このように、「月給18万円あるから大丈夫」と思っていても、休日が少なく労働時間が長い会社ほど、時給に直すと最低賃金を下回ります。年間休日を増やすと1か月の労働時間が減るため、同じ月給でも時給換算額は上がります。賃上げだけでなく、休日数の見直しも対策の選択肢になるのです。
実務でよくある3つの罠
■ 罠① 固定残業代込みの月給
「月給25万円(固定残業代5万円を含む)」のような給与体系では、最低賃金の計算に使えるのは残業代を除いた20万円だけです。求人票の総額だけを見て安心するのは危険です。
■ 罠② 試用期間中の減額
試用期間中だからといって、最低賃金を下回る賃金を払うことはできません。減額の特例は、都道府県労働局長の許可を受けた場合に限られ、減額できる率にも上限があります。許可なく「試用期間は時給900円」とすることは違反です。
■ 罠③ 発効日をまたぐ給与計算期間
たとえば「20日締め・25日払い」の会社で発効日が10月上旬の場合、9月21日〜10月20日の給与計算期間のうち、発効日以降に働いた分から新しい最低賃金が適用されます。「11月分から切り替えればいい」と考えていると、1か月弱の未払いが発生します。
| 【税理士×社労士の実務視点】 最低賃金の不足は、労働基準監督署の調査で指摘されると、原則としてさかのぼって差額を支払う必要があります。未払いの賃金は過去分(現在は3年)まで請求される可能性があり、人数が多い会社ほど金額が膨らみます。 また、差額を支払えば給与が増え、その分の社会保険料や源泉所得税の計算もやり直しになります。労務の問題が、そのまま税務・社会保険の修正作業に連鎖するのが最低賃金違反の怖さです。給与計算を担う社労士と、決算・税務を担う税理士が同じ情報を共有していれば、この連鎖を未然に防げます。 |
3. 賃上げが社会保険と「扶養の壁」に与える影響
結論として、賃上げをするときは「会社の社会保険料負担の増加」と「パートの働き控え」の2点をセットで考える必要があります。ここは税金の知識だけでは見落としやすい、労務ならではのポイントです。
標準報酬月額と随時改定(月額変更届)
標準報酬月額とは、社会保険料を計算するために、毎月の給与をいくつかの段階(等級)に当てはめた金額のことです。
基本給や手当など「固定的な賃金」が変わり、その後3か月の平均で標準報酬月額が2等級以上変わった場合は、「随時改定」として年の途中でも保険料が変わります。このとき会社は「月額変更届」を提出しなければなりません。10月の賃上げであれば、10月・11月・12月の3か月の給与で判定し、該当すれば翌年1月分から保険料が変わります。
社会保険料は会社と従業員が折半で負担するため、給与を1万円上げると、会社負担もおおむね1,500円前後増えると考えておきましょう(加入する健康保険や年齢によって率は異なります)。
パートの「年収の壁」と就業調整
時給が上がると、同じ時間働くだけで年収が増え、「扶養から外れたくない」パートの方が勤務時間を減らしてしまうことがあります。これを就業調整といいます。主な壁を整理すると、次のとおりです。
| 壁 | 中身 | 影響 | 最近の動き |
| 106万円の壁 | 一定の会社で週20時間以上などの条件を満たすと、本人が社会保険に加入 | 社会保険料の本人負担が発生 | 月額8.8万円の賃金要件は撤廃の方向 |
| 130万円の壁 | 家族の社会保険の扶養から外れ、自分で国民健康保険・国民年金などに加入 | 保険料の負担が大きく、手取りが減りやすい | 一時的な収入増は事業主の証明で扶養継続できる仕組みあり |
| 所得税の壁 | 本人に所得税がかかり始めるライン | 所得税の負担が発生 | 税制改正で103万円から160万円へ引き上げ |
| [画像指示:時給アップによって年収が各「壁」に近づき、勤務時間を減らしてしまう流れを示した図解イラスト / キャプション:時給が上がると、同じ時間でも年収の壁に近づきます] |
| 【税理士×社労士の実務視点】 人手不足の時代に、時給を上げた結果シフトに入れる時間が減ってしまっては本末転倒です。賃上げの前に、パートの方一人ひとりについて「今の働き方で年収がいくらになるか」「壁を越えた場合の手取りはどう変わるか」を試算し、本人と話し合っておくことをおすすめします。 所得税の壁は大きく緩和されましたが、社会保険の壁は別のルールで動いています。税金と社会保険の両方の壁を一枚の表で説明できるかどうかが、従業員の安心感と定着率を左右します。 |
4. 賃上げの負担を軽くする「税制」と「助成金」
結論として、中小企業が使える代表的な支援策は「賃上げ促進税制」と「業務改善助成金」の2つです。前者は「上げた後」に法人税を減らす制度、後者は「上げる前」に申請して設備投資費用などの助成を受ける制度で、タイミングがまったく異なります。
賃上げ促進税制とは
賃上げ促進税制とは、従業員の給与総額を前の年より一定以上増やした会社が、増えた金額の一定割合を法人税(個人事業主は所得税)から直接差し引ける制度のことです。
「経費になる」だけの制度とは違い、税金そのものから差し引ける(税額控除)のが大きな特徴です。お小遣い帳で例えるなら、「使ったお金を記録できる」だけでなく、「使った分の一部をおうちの人が後から返してくれる」ようなイメージです。
■ 中小企業向けの主な要件と控除率
| 要件 | 内容 | 控除率 |
| 基本要件 | 雇用者給与等支給額(従業員の給与総額)が前年度比1.5%以上増加 | 増加額の15% |
| 上乗せ要件 | 雇用者給与等支給額が前年度比2.5%以上増加 | 増加額の30% |
| 教育訓練費の上乗せ | 教育訓練費が前年度比5%以上増加し、給与総額の0.05%以上 | +10% |
| 子育て・女性活躍の上乗せ | 「くるみん」または「えるぼし(2段階目以上)」の認定を取得 | +5% |
| 最大控除率 | 上記をすべて満たした場合 | 最大45% |
| 控除の上限 | その年度の法人税額の20%まで | — |
| 繰越控除 | 控除しきれなかった金額は最長5年間繰り越し可能(繰越先の年度でも給与総額の増加が必要) | — |
対象となるのは青色申告をしている中小企業者等で、給与総額には役員やその親族などに支払う給与は含まれません。社長の役員報酬を増やしても、この制度の計算には入らない点に注意しましょう。
業務改善助成金とは
業務改善助成金とは、事業場内で最も低い賃金(事業場内最低賃金)を一定額以上引き上げ、あわせて生産性を上げる設備投資などを行った中小企業に、その費用の一部を国が助成する制度のことです。
たとえば、飲食店が時給を引き上げると同時に、券売機や食器洗浄機を導入して作業時間を短くする、といった使い方が典型例です。助成額や対象となる条件は年度ごとに見直されるため、申請前に最新の要件を確認することが欠かせません。
2つの制度の比較
| 比較項目 | 賃上げ促進税制 | 業務改善助成金 |
| 仕組み | 法人税(所得税)から差し引く | 国から現金が支給される |
| 手続きのタイミング | 賃上げ後、決算の申告時 | 賃上げ前に交付申請が必要 |
| 赤字の会社 | その年は効果なし(5年間繰り越し可能) | 赤字でも利用可能 |
| 設備投資 | 不要 | 必要(生産性向上につながるもの) |
| 主な担当専門家 | 税理士 | 社労士(労務・賃金台帳の整備) |
| 併用 | 同じ賃上げで併用できる場合がある(控除額の計算に調整が入ることがある) |
| 【ここが落とし穴】 業務改善助成金は、交付決定を受ける前に賃金を引き上げたり、設備を発注したりすると対象外になるのが原則です。「最低賃金が上がったから時給を上げた。後で助成金を申請しよう」では間に合いません。 賃上げ促進税制も、給与総額の計算を誤ると、せっかくの控除が受けられないうえ、税務調査で否認されるリスクがあります。前年度と当年度の給与総額を、同じ基準で正確に集計しておくことが重要です。 |
5. シミュレーション:従業員10名の会社が賃上げした場合
結論として、次のケースでは増えた人件費約97万円のうち、税額控除と経費算入による法人税等の減少で約58万円が戻り、実質負担は約39万円まで圧縮できます。具体的な数字で見てみましょう。
前提条件
| 項目 | 内容 |
| 会社 | 地方で飲食店と惣菜販売を営む株式会社(青色申告・中小企業者) |
| 従業員 | 正社員4名、パート6名(全員社会保険に加入していると仮定) |
| 前年度の給与総額 | 3,000万円(役員報酬は除く) |
| 賃上げの内容 | パート時給を1,050円→1,110円(+60円・年1,000時間勤務)/正社員の月給を1人1万円アップ |
| 教育訓練 | 外部研修の受講費を前年度より増やし、教育訓練費の上乗せ要件を満たすと仮定 |
| 法人税額 | 賃上げ前の見込みで年250万円(控除上限は20%の50万円) |
試算結果
| 項目 | 計算式 | 金額 |
| パートの給与増加額 | 60円 × 1,000時間 × 6名 | 36万円 |
| 正社員の給与増加額 | 1万円 × 12か月 × 4名 | 48万円 |
| 給与総額の増加額(増加率) | 36万円 + 48万円(3,084万円 ÷ 3,000万円 = 2.8%増) | 84万円 |
| 会社負担の社会保険料増加 | 84万円 × 約15% | 約12.6万円 |
| 人件費の増加合計(A) | 84万円 + 12.6万円 | 約96.6万円 |
| 賃上げ促進税制の控除額(B) | 84万円 × 40%(2.5%以上:30%+教育訓練:10%) | 約33.6万円 |
| 経費算入による法人税等の減少(C) | 96.6万円 × 実効税率約25%(概算) | 約24.2万円 |
| 実質的な負担額 | (A)−(B)−(C) | 約38.8万円 |
| [画像指示:人件費増加額96.6万円が、税額控除33.6万円・法人税等の減少24.2万円・実質負担38.8万円に分かれる積み上げ棒グラフ / キャプション:制度を使うと、賃上げの実質負担は約4割まで下がります] |
シミュレーションから分かること
- 制度を使わなければ約72万円(96.6万円−24.2万円)の負担だったものが、賃上げ促進税制によってさらに33.6万円軽くなります。
- 給与の増加率が2.5%に届くかどうかで、控除率が15%か30%かに分かれます。このケースで増加率が2.4%だった場合、控除額はほぼ半分になるため、「あと少しで2.5%」の場合は昇給額の上乗せを検討する価値があります。
- 設備投資を伴う場合は、業務改善助成金を賃上げ前に申請することで、さらに負担を減らせる可能性があります。
| 【税理士×社労士の実務視点】 賃上げの金額は、決算直前ではなく期首のうちに年間の給与総額の着地を見込んで決めるのが理想です。巡回監査で毎月の給与台帳と試算表を確認していれば、「このままだと増加率は2.3%なので、冬の賞与を少し上乗せすれば2.5%に届く」といった判断を、決算前に余裕をもって行えます。 ※上記は制度の仕組みを理解していただくための概算です。社会保険料率、実効税率、控除の可否は会社ごとの条件で異なります。 |
6. よくある質問(FAQ)
Q. 最低賃金を下回っていることに気づいたら、どうすればよいですか?
A. 直ちに賃金を引き上げ、発効日以降の不足分を計算して差額を支払ってください。地域別最低賃金を下回った場合は最低賃金法により50万円以下の罰金の対象となります。自主的に早く是正することが、労働基準監督署の調査リスクや従業員との信頼関係の面でも最善策です。
Q. 赤字の会社でも賃上げ促進税制は使えますか?
A. 赤字で法人税がかからない年は、その年に控除を受けることはできません。ただし、中小企業者等は控除しきれなかった金額を最長5年間繰り越せます。繰り越した年度に黒字となり、かつ給与総額が前年度より増えていれば控除を受けられるため、赤字の年でも要件を満たしているかを申告書に記録しておくことが大切です。
Q. 社長や家族役員の報酬を上げた場合も、賃上げ促進税制の対象になりますか?
A. 対象になりません。賃上げ促進税制の給与総額には、役員や役員の親族など特殊な関係にある人への給与は含まれません。あくまで一般の従業員に支払う給与が対象です。
Q. パートの方に「扶養の範囲内で働きたいので時給は上げないで」と言われました。
A. 最低賃金を下回る時給にすることは、本人の希望があってもできません。この場合は時給を上げたうえで、年間の勤務時間を調整することになります。あわせて、社会保険の扶養(130万円)は一時的な収入増なら事業主の証明で扶養を続けられる仕組みがあることや、所得税の壁は160万円まで引き上げられたことを説明すると、働き方の選択肢が広がります。
Q. 最低賃金の改定に向けて、会社は何をいつまでにすればよいですか?
A. 発効日より前に、次の3つを済ませておくのが実務上の結論です。①全従業員の時給換算額を一覧にして最低賃金との差を確認する、②給与計算ソフトの時給・月給の設定を変更する、③賃上げ額が決まったら賃金規程や雇用契約書(労働条件通知書)を更新する。設備投資を伴う場合は、業務改善助成金の申請をこれより前に行ってください。
7. まとめ:賃上げは「守り」と「攻め」を同時に考える
| 【3行でわかるこの記事のポイント】 1. 月給制の社員も、残業代・通勤手当などを除いて時給に換算し、事業所ごとの最低賃金と必ず比べる。 2. 賃上げは社会保険料の増加とパートの「扶養の壁」までセットで設計し、働き控えを防ぐ。 3. 賃上げ促進税制(最大45%の税額控除)と業務改善助成金(賃上げ前に申請)で実質負担を軽くする。 |
最低賃金の引き上げは、毎年必ずやってくる「避けられない経営課題」です。しかし、正しい計算で違反リスクを防ぎ、税制や助成金を上手に組み合わせれば、賃上げを「単なるコスト増」から「人材確保と会社の成長への投資」に変えることができます。
当事務所では、税理士と社会保険労務士が同じチームで連携し、最低賃金のチェックから給与体系の見直し、社会保険手続き、賃上げ促進税制の適用判断、決算・申告までを一貫してサポートしています。国税の現場を知り尽くした元国税職員も在籍しており、税務調査で指摘されない正確な集計・書類づくりにも万全の体制で臨みます。毎月の巡回監査を通じて、決算を待たずに「今年の賃上げをどう着地させるか」を一緒に考えられるのも私たちの強みです。
| 【ご相談はお気軽に】 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 「うちの給与は最低賃金を満たしているか確認してほしい」「賃上げ促進税制が使えるか知りたい」――そんな一言からで大丈夫です。オンラインでのご相談にも対応しています。 |
【10月1日から変更】インボイス経過措置80%→70%で会社の負担はいくら増える?
免税事業者の外注先と損せず・揉めずに付き合う方法
「インボイスの経過措置が10月から変わるらしいけれど、うちの会社に何か関係あるの?」「免税事業者のフリーランスや一人親方さんにお願いしている外注、このままで大丈夫?」――月末の今、こうした不安を抱えている経営者の方は少なくありません。
2026年10月1日から、インボイス(適格請求書)を発行できない免税事業者との取引について、消費税の控除できる割合が80%から70%に下がります。数字だけ見ると小さな変化ですが、外注比率の高い建設業・IT・デザイン・運送などの業種では、放っておくと毎年じわじわと納税額が増えていきます。
一方で、慌てて取引先に一方的な値下げを求めたり、外注をいきなり雇用に切り替えたりすると、法律違反や社会保険料の大幅な負担増という「別の損」を招きます。この記事では、税理士と社会保険労務士の両方の視点から、10月以降に会社が本当に取るべき行動を、数字を使ってわかりやすく解説します。
| ◆ 結論 ・10月1日以降の免税事業者からの仕入れ・外注は、消費税相当額の70%しか控除できません(2028年9月まで。その後50%→30%と段階的に縮小)。 ・判定は「支払日」ではなく取引をした日。9月中に完了した仕事は、10月に支払っても80%です。 ・簡易課税・2割特例で申告している会社は、この変更の影響を受けません。 ・多くの中小企業では、影響額は外注費の1%程度。一方的な値下げや安易な「外注→雇用」切替のほうが、はるかに大きな損につながります。 |
1. インボイスの経過措置とは?まず仕組みを30秒で理解する
結論から言うと、経過措置とは「インボイスがなくても、消費税の一部を差し引いてよい」という、期間限定のお助けルールです。仕組みを理解するために、まず消費税の払い方から整理しましょう。
仕入税額控除とは「預かった消費税から、払った消費税を差し引く」こと
仕入税額控除とは、お客さまから預かった消費税から、仕入れや外注で自分が支払った消費税を差し引いて、残りだけを国に納める仕組みのことです。
リンゴ屋さんで例えてみましょう。農家から100円(消費税10円)でリンゴを仕入れ、お客さまに200円(消費税20円)で売りました。リンゴ屋さんが国に納めるのは、預かった20円から払った10円を引いた「10円」だけです。この「払った10円を引ける」ことが仕入税額控除です。
インボイスがないと、本来は1円も差し引けない
2023年10月のインボイス制度開始により、この差し引きをするには、仕入れ先が発行するインボイス(登録番号が書かれた請求書)が必要になりました。仕入れ先が免税事業者でインボイスを出せない場合、原則として差し引きはゼロです。
経過措置とは「いきなりゼロは厳しいので、少しずつ減らす」ルール
経過措置とは、免税事業者からの仕入れでも、一定割合を控除できるよう認める移行期間のルールのことです。これまでの3年間は80%を控除できましたが、2026年10月からはその割合が一段階下がります。
[画像指示:リンゴ屋さんの例で「預かった消費税20円−払った消費税10円=納める10円」を示し、インボイスなしの場合は控除が70%(7円)に減る様子を描いた図解イラスト / キャプション:インボイスがない仕入れは、差し引ける消費税が段階的に減っていきます]
2. 10月1日から何が変わる?控除割合のスケジュール
結論として、10月1日から2028年9月30日までの2年間は70%、その後は50%、30%と段階的に下がり、2031年10月以降はゼロになります。当初の予定では10月から一気に50%に下がる予定でしたが、令和8年度税制改正で、より緩やかな縮小に見直されました。
| 期間 | 控除できる割合 | 消費税10万円分の外注なら |
| 〜2023年9月30日 | 100%(旧制度) | 10万円控除 |
| 2023年10月1日〜2026年9月30日 | 80% | 8万円控除 |
| 2026年10月1日〜2028年9月30日 | 70% | 7万円控除 |
| 2028年10月1日〜2030年9月30日 | 50% | 5万円控除 |
| 2030年10月1日〜2031年9月30日 | 30% | 3万円控除 |
| 2031年10月1日〜 | 0% | 控除なし |
もう一つの変更:同じ相手からの仕入れが年1億円を超えると対象外
あわせて、一つの免税事業者からの仕入れ・外注の合計が年間1億円(税込)を超える場合、その超えた部分には経過措置が使えなくなります(改正前は10億円)。大口の外注先を免税事業者のまま使っている会社は、特に注意が必要です。
実務の罠:判定は「支払った日」ではなく「取引をした日」
結論として、80%と70%のどちらを使うかは、商品を受け取った日・サービスが完了した日で判定します。請求書を受け取った日や支払った日ではありません。
- 9月中に工事や制作が完了し、10月に請求・支払い → 80%
- 10月に入ってから作業が完了 → 70%
- 9月末締め・10月請求の月額顧問料や保守料 → 9月分のサービスなので80%
月をまたぐ取引では、請求書に作業完了日や対象期間を明記してもらうことが、後の税務調査で説明できる証拠になります。
| ⚠ 注意 会計ソフトの税区分を「80%控除」のまま放置すると、10月以降の取引で控除を多く計上しすぎてしまいます。追徴課税の原因になるため、10月1日の取引から税区分を切り替える設定を必ず行ってください。 |
3. この変更で影響を受ける会社・受けない会社
結論として、影響を受けるのは「本則課税(一般課税)」で消費税を申告し、かつ免税事業者との取引がある会社です。
| 申告方法 | 10月の変更の影響 | 理由 |
| 本則課税(一般課税) | 影響あり | 実際に払った消費税を集計して控除するため |
| 簡易課税 | 影響なし | 売上の消費税×みなし仕入率で控除額を計算するため |
| 2割特例 | 影響なし | 売上の消費税の80%を控除する計算のため |
| 免税事業者(自社) | 直接の影響なし | 消費税の申告自体がないため。ただし取引先から交渉を受ける可能性あり |
[画像指示:「自社の申告方法は?」から始まり、本則課税→影響あり、簡易課税・2割特例→影響なし、と分かれるYes/Noチャート図解 / キャプション:まずは自社の消費税の申告方法を確認しましょう]
4. 免税事業者の外注先への対応は4つの選択肢から選ぶ
結論として、多くの中小企業にとって最も合理的なのは「取引条件を維持しつつ、影響額を把握したうえで、必要なら誠実に協議する」ことです。4つの選択肢を比べてみましょう。
| 選択肢 | メリット | デメリット・リスク | 実務評価 |
| ① 現状のまま継続 | 関係を維持できる。手間がかからない | 納税額が少しずつ増える | ◎ 影響が小さいならまずこれ |
| ② 価格の見直しを協議 | 増えた税負担を分け合える | 一方的な値下げは法律違反のおそれ | ○ 書面で丁寧に協議すれば可 |
| ③ 課税事業者になってもらう | インボイスが出て100%控除できる | 相手の事務・納税負担が増え、単価アップを求められることも | ○ 相手の事情次第 |
| ④ 雇用(社員)に切り替える | 人材の囲い込み・定着 | 社会保険料の負担増。給与は消費税の控除対象外 | △ 税の理由だけならおすすめしない |
選択肢②の罠:一方的な値下げは「買いたたき」になる
結論として、インボイスを理由にした価格交渉そのものは違法ではありませんが、相手と十分に協議せず、一方的に値下げを通告することは法律違反となるおそれがあります。
■ 関係する3つのルール
- 独占禁止法(優越的地位の濫用):立場の強い発注者が、取引先に不当に不利な条件を押し付けることを禁じるルールです。
- 中小受託取引適正化法(旧・下請法):2026年1月から名称と内容が改められ、価格協議に応じないまま一方的に代金を決めることが明確に禁止されました。
- フリーランス保護法:個人の外注先に仕事を頼む際、報酬額などの条件を書面やメールで明示する義務があります。
公正取引委員会などは、免税事業者であることを理由に、取引先と協議せずに大幅な値下げを求める行為を問題となり得る例として示しています。協議の経緯はメールや議事メモで残しておきましょう。
選択肢③の注意点:相手の「2割特例」は9月で終わる
免税事業者から課税事業者になった人が使える「2割特例」(納める消費税を売上の消費税の2割にできる特例)は、2026年9月30日を含む課税期間までの措置です。個人事業主については、改正により2027年分・2028年分は「3割特例」として負担軽減が続きますが、法人は対象外です。取引先に登録を依頼する場合は、相手の負担が今後重くなることも踏まえて話し合う必要があります。
選択肢④の罠:「外注→雇用」は税も社会保険も高くつく
結論として、消費税対策だけを目的に外注先を社員に切り替えるのは、ほとんどの場合、逆効果です。理由は二つあります。
- 給与は消費税の控除対象外:外注費なら70%は控除できますが、給与にした瞬間に控除はゼロになります。
- 社会保険料・労働保険料の会社負担:健康保険・厚生年金の会社負担だけで給与のおよそ15%前後、さらに雇用保険・労災保険も加わります。
| ◆ 税理士・社労士の実務視点 社労士の立場から見ると、より注意すべきなのは逆のパターンです。実態は社員と同じ働き方なのに、契約だけ「外注」にしているケースは、労働基準監督署や年金事務所の調査で雇用と判断されることがあります。 ・勤務時間や場所を会社が指定している ・仕事の進め方を細かく指示している ・他社の仕事を実質的に受けられない こうした実態がある場合、さかのぼって社会保険料や残業代を請求されるリスクがあります。インボイスの見直しは、外注契約の実態を点検する絶好の機会です。税務と労務を一体で確認することで、両方のリスクを同時に減らせます。 |
5. 10月からの実務対応5ステップ
結論として、次の5つを順番に進めれば、10月以降の対応に漏れはありません。
| STEP 1 | 取引先リストを作り、登録番号を確認する 国税庁の公表サイトで、外注先・仕入れ先が適格請求書発行事業者かどうかを確認し、免税事業者を洗い出します。 |
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| STEP 2 | 免税事業者との年間取引額を集計し、影響額を試算する 「年間の税込取引額×10/110×10%(80%→70%の差)」が、おおよその年間負担増です。年1億円を超える相手がいないかも確認します。 |
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| STEP 3 | 会計ソフトの税区分を切り替える 10月1日以降の取引から「70%控除」の区分を使うよう設定します。帳簿には経過措置の適用である旨の記載が必要です。 |
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| STEP 4 | 必要に応じて取引条件を書面で協議する 影響額が大きい相手とだけ、根拠を示して丁寧に協議します。一方的な通告は避け、協議記録を残します。 |
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| STEP 5 | 外注契約の「実態」を点検する 指揮命令や時間拘束の有無を確認し、雇用と判断されるリスクがないか、契約書と働き方を見直します。 |
[画像指示:5つのステップを左から右へ矢印でつないだ横型フロー図。各ステップにチェックリストのアイコン / キャプション:10月からの対応は「確認→試算→設定→協議→点検」の順で進めます]
6. シミュレーション:年商8,000万円の工務店の場合
結論として、このケースでは10月以降の負担増は年間12万円程度にとどまり、「外注→雇用」に切り替えると年間300万円近くコストが増える計算になります。数字で確かめてみましょう。
前提条件
| 項目 | 内容 |
| 会社の規模 | 年商8,000万円の工務店(本則課税で消費税を申告) |
| 免税事業者の外注先 | 一人親方3名(各人 年間税込440万円) |
| 免税事業者への外注費合計 | 年間 税込1,320万円 |
| その中に含まれる消費税相当額 | 1,320万円×10/110=120万円 |
控除割合の変化による年間の税負担
| 期間 | 控除できる額 | 控除できない額(=負担) | 80%時点との差 |
| 2026年9月まで(80%) | 96万円 | 24万円 | ― |
| 2026年10月〜(70%) | 84万円 | 36万円 | +12万円 |
| 2028年10月〜(50%) | 60万円 | 60万円 | +36万円 |
| 2031年10月〜(0%) | 0円 | 120万円 | +96万円 |
4つの選択肢を比べた年間コスト(70%期間)
| 選択肢 | 80%時点からの年間コスト増 | ポイント |
| ① 現状のまま継続 | 約12万円 | 外注費全体の約0.9% |
| ② 協議で負担を折半 | 約6万円 | 相手の同意と協議記録が前提 |
| ③ 課税事業者になってもらう | 単価次第(据え置きならマイナス24万円) | 相手が単価アップを求めれば相殺される |
| ④ 3名を同額で雇用 | 約300万円 | 控除84万円を失う+社会保険・労働保険の会社負担 約210万円 |
※④は、外注費1,320万円を同額の給与に置き換え、社会保険料の会社負担を約15%、労働保険料を約1%として概算しています。消費税控除の喪失84万円と保険料約210万円の合計で、約300万円の負担増です(80%時点比では控除喪失96万円となり、さらに差は広がります)。
| ◆ 税理士・社労士の実務視点 このケースの結論は「①を基本に、2028年10月の50%への縮小を見据えて、今のうちに取引先と将来の方針を話し合っておく」です。 年12万円の負担増に焦って関係を壊すより、良い職人さんとの関係を守るほうが経営上の価値は大きいはずです。ただし、50%、0%と進むにつれて負担は確実に増えるため、2年後に向けた計画を今から立てておくことが大切です。 |
7. よくある質問(FAQ)
Q. 簡易課税で申告していますが、何か対応は必要ですか?
A. 簡易課税の会社は、控除額を売上から計算するため、今回の変更による税額への影響はありません。ただし、翌期以降に本則課税へ戻る可能性がある場合や、取引先から交渉を受ける場合に備えて、免税事業者との取引状況は把握しておくことをおすすめします。
Q. 9月に終わった仕事の請求書が10月に届きました。80%と70%どちらですか?
A. 80%です。判定は、請求書の日付や支払日ではなく、商品の引渡しやサービスの提供が完了した日で行います。完了日が9月中であることが分かるよう、請求書や納品書に作業日を記載してもらいましょう。
Q. 経過措置を使うために、帳簿や書類で必要なことはありますか?
A. 帳簿に「経過措置の適用を受ける取引である」ことが分かる記載(例:「※は70%控除対象」などの記号と注記)をし、相手の名前・日付・内容・金額などが書かれた請求書や領収書を保存する必要があります。記載がないと控除が認められないため、会計ソフトの設定で自動表示されるか確認してください。
Q. 免税事業者の外注先に、値下げをお願いしても大丈夫ですか?
A. 話し合いを申し入れること自体は問題ありません。ただし、相手と十分に協議せずに一方的に値下げを決めることは、独占禁止法や中小受託取引適正化法に違反するおそれがあります。影響額の根拠を示し、相手の意見も聞いたうえで、協議の記録を残すことが重要です。
Q. 私自身が免税事業者の個人事業主です。今回の変更で何か起きますか?
A. ご自身の税金は変わりませんが、取引先(本則課税の会社)の負担が増えるため、単価の見直しや登録の相談を受ける可能性が高まります。登録するかどうかは、取引先の申告方法、売上の規模、個人事業主向けの負担軽減措置の有無を踏まえて判断するのが正解です。登録すべきか迷ったら、試算してから決めることをおすすめします。
8. まとめ & ご相談のご案内
この記事の要点3行まとめ
- 2026年10月1日から、免税事業者からの仕入れ・外注の控除割合は80%→70%に下がり、判定は「取引をした日」で行います。
- 影響を受けるのは本則課税の会社だけ。多くの中小企業では負担増は外注費の1%程度です。
- 一方的な値下げや安易な「外注→雇用」切替は、法律違反や社会保険料の負担増というより大きな損を招きます。
| ◆ 自己判断で損をする前に、まずはご相談ください 税務の判断は、会社の申告方法や取引先の状況によって一つひとつ異なります。「うちは本則課税と簡易課税、どちらが有利?」「この外注契約は雇用と判断されない?」といった疑問は、自己判断のまま進めると思わぬ損や労務トラブルにつながります。 当事務所には、税務署の現場を知り尽くした国税OBの税理士と、社会保険労務士が在籍しています。消費税の影響試算から会計ソフトの設定、外注契約の実態チェック、取引先との協議の進め方まで、税務と労務を一体でサポートできるのが当事務所の強みです。定期的な巡回監査を通じて、10月以降の処理が正しく行われているかも毎月確認いたします。 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 |
「106万円の壁」撤廃で会社の負担はいくら増える?
社会保険の適用拡大を損せず乗り切る経営者の5つの準備
「パートさんから『来年から社会保険に入らないといけないんですか?』と聞かれたけれど、正直よく分からない」「うちは従業員50人もいないから関係ないと思っていた」――最近、こうしたご相談が一気に増えています。
先日の記事では、年末調整で話題の「103万円の壁(税金の壁)」の改正を取り上げました。今回はその“もう一つの壁”である「106万円の壁(社会保険の壁)」がテーマです。税金の壁が「手取りが少し減る壁」だとすると、社会保険の壁は「会社と従業員の両方に毎月の負担が生まれる壁」です。インパクトはこちらの方がはるかに大きくなります。
この記事を読めば、①何がいつ変わるのか、②自社は対象になるのか、③会社の負担はいくら増えるのか、④今から何を準備すればよいのか、がすべて分かります。まずは結論からお伝えします。
| 結論:この記事のポイント ① 「106万円の壁」(月8.8万円の賃金要件)は、2025年成立の改正法により撤廃が決まっています。今後は「週20時間以上働くかどうか」が加入の分かれ目になります。 ② 「従業員51人以上の会社だけ」という条件も段階的になくなります。2027年10月に36人以上、2029年10月に21人以上へと対象が広がり、最終的には人数に関係なく適用されます。 ③ 会社の負担は、新たに加入するパート1人あたり年間約18万円が目安です。ただし保険料は全額が会社の経費(損金)になり、国の支援策や賃上げ税制を組み合わせれば実質負担は大きく下げられます。 ④ 税理士の実務視点から見た結論:「加入させない(時間を減らす)」より「加入を前提に人件費と手取りを設計し直す」方が、人手不足の時代には会社にとって得です。準備は対象になる1年前から始めてください。 |
1. 社会保険の適用拡大とは?まず「106万円の壁」の正体を知ろう
結論から言うと、社会保険の適用拡大とは、これまで社会保険に入らなくてよかったパート・アルバイトの人も、会社の健康保険と厚生年金に入る仕組みに変えていくことです。
1-1. 「106万円の壁」とは何か
「106万円の壁」とは、パート・アルバイトの月給が8.8万円(年収に直すと約106万円)以上になると、勤務先の社会保険に加入しなければならなくなる境目のことです。
身近な例えで言うと、お小遣い帳に「毎月8,800円以上もらったら、そのうち1割5分を貯金箱(将来の年金や医療の備え)に入れなさい。貯金箱には家の人も同じ額を入れてくれる」というルールがあるイメージです。貯金が増えるのは良いことですが、使えるお小遣いは目の前で減るため、「8,800円を超えないようにお手伝いを減らそう」と考える子が出てきます。これが、いわゆる「働き控え」です。
1-2. 現在の加入条件(5つの要件)
現在、パート・アルバイトの人(短時間労働者)が勤務先の社会保険に入る条件は、次の5つをすべて満たす場合です。
| 要件 | 現在の基準 | 改正後の方向性 |
| ① 労働時間 | 週の所定労働時間が20時間以上 | 変更なし(ここが唯一の分かれ目に) |
| ② 賃金 | 月額賃金8.8万円以上(=106万円の壁) | 撤廃(公布から3年以内に施行) |
| ③ 雇用期間 | 2か月を超えて使用される見込み | 変更なし |
| ④ 学生 | 学生でないこと(夜間・通信制等は除く) | 変更なし |
| ⑤ 企業規模 | 従業員(厚生年金の被保険者)51人以上 | 段階的に縮小し、最終的に撤廃 |
[画像指示:パート従業員が社会保険に加入するかどうかを判定する5つの要件を、チェックリスト形式で示した図解イラスト / キャプション:現在は5つすべてを満たすと加入。改正後は「賃金」と「企業規模」の2つが外れ、実質的に「週20時間」が基準になる]
2. 何がいつ変わる?改正スケジュールを整理
結論として、改正は「賃金の壁の撤廃」と「会社の規模の条件の撤廃」の2本立てで、数年から10年かけて段階的に進みます。自社がいつ対象になるかを、まず確認してください。
2-1. 賃金要件(106万円の壁)の撤廃
月8.8万円という賃金要件は、2025年6月に成立した年金制度改正法により撤廃が決まりました。施行時期は「公布から3年以内で、政令で定める日」とされ、最低賃金の引き上げ状況を見ながら決められます。最低賃金が上がり続けると、週20時間働くだけで自然に月8.8万円を超えるようになるため、「壁」そのものが意味を持たなくなるからです。
2-2. 企業規模要件の段階的縮小
より多くの中小企業に直接関係するのがこちらです。「従業員51人以上の会社だけ」という条件が、次のスケジュールで広がっていきます。
| 施行時期 | 対象となる会社の規模(厚生年金の被保険者数) | 地方の中小企業への影響 |
| 現在 | 51人以上 | 一部の中堅企業のみ |
| 2027年10月 | 36人以上 | 従業員40人前後の会社が対象に |
| 2029年10月 | 21人以上 | 多くの製造業・小売・介護・飲食が対象に |
| 2032年10月 | 11人以上 | 小規模な会社もほぼ対象に |
| 2035年10月 | 人数要件なし(撤廃) | パートを1人でも雇う法人はすべて対象 |
[画像指示:企業規模要件が51人→36人→21人→11人→撤廃と段階的に広がっていくタイムライン図 / キャプション:自社の「厚生年金の被保険者数」をこの年表に当てはめると、対象になる時期が分かる]
2-3. 個人事業主(個人の事業所)はどうなる?
個人事業主の事業所は、現在「常時5人以上で、法律で定められた業種」の場合に社会保険の対象です。改正により、2029年10月以降は業種の限定がなくなりますが、対象となるのはその時点以降に新しく開業する事業所で、既存の事業所は当分の間は対象外とされています。これから起業する方は、この点を開業計画に織り込んでおく必要があります。
2-4. 「130万円の壁」(扶養の壁)はどうなる?
「130万円の壁」とは、会社員の配偶者や家族が、年収130万円以上になると家族の扶養から外れ、自分で国民年金・国民健康保険に加入しなければならなくなる境目のことです。
こちらは撤廃されていませんが、運用が2点変わっています。第一に、2025年10月からは19歳以上23歳未満の人(配偶者を除く)については基準が150万円に引き上げられました。第二に、2026年4月からは、扶養に入れるかどうかの年収判定を、原則として労働契約(雇用契約書や労働条件通知書)に書かれた賃金で行う運用になりました。つまり、契約書の内容がこれまで以上に重要になっています。
| 税理士の実務視点:「壁」は3種類あると覚える 経営者の方には、①税金の壁(所得税がかかる境目。令和7年度改正で実質160万円に)、②社会保険の壁(週20時間・会社規模。今回のテーマ)、③扶養の壁(130万円)の3種類を区別して従業員に説明していただくことをお勧めします。 現場で最も多い誤解は「103万円を超えたら社会保険に入る」というものです。税金と社会保険は別の制度です。この区別を説明できるだけで、従業員の不安と働き控えは大きく減ります。 |
3. 会社と従業員、それぞれのメリット・デメリット
結論として、適用拡大は会社にとっては「コスト増」ですが「人材確保の武器」にもなり、従業員にとっては「今の手取り減」と引き換えに「将来と万一への備え」が手厚くなる制度です。
3-1. 会社にとってのメリット・デメリット
■ メリット
- 人材の確保・定着に有利になる。「社会保険完備」は求人で強いアピール材料です。
- 働き控えが減り、繁忙期のシフトが組みやすくなる。年末の「時間調整による人手不足」が起きにくくなります。
- 保険料の会社負担分は全額が経費(法定福利費)になる。利益が出ている会社では法人税等の負担が下がります。
■ デメリット
- 保険料の会社負担(給与のおよそ15%)が毎月発生する。
- 加入手続き・給与計算・労務管理の事務負担が増える。
- 時間を減らしたい従業員が出た場合、人員の補充が必要になる。
3-2. 従業員にとっての変化
| 項目 | 加入前(国民年金・国保 または 扶養) | 加入後(会社の社会保険) |
| 毎月の手取り | 減らない(扶養の場合) | 給与のおよそ14〜15%が天引きされ減る |
| 将来の年金 | 基礎年金のみ | 基礎年金+厚生年金(一生涯上乗せ) |
| 病気・けがで休んだとき | 国保には原則として給付なし | 傷病手当金(給与の約3分の2) |
| 出産で休んだとき | 国保には原則として給付なし | 出産手当金(給与の約3分の2) |
| 障害・死亡への備え | 障害基礎年金・遺族基礎年金のみ | 障害厚生年金・遺族厚生年金が上乗せ |
ポイントは、従業員が「手取りが減る」ことだけを見て判断しがちな点です。会社が「将来と万一の保障がこれだけ増える」と数字で示すことで、加入を前向きに受け止める人は確実に増えます。
4. 実務上の注意点・落とし穴
結論として、適用拡大で失敗する会社の多くは、「人数の数え方」「働き控えの連鎖」「税金との関係」「支援策の申請漏れ」の4点でつまずいています。
4-1. 「従業員数」は社会保険の加入者数で数える
企業規模の「36人以上」「21人以上」は、パートを含めた全従業員の数ではなく、厚生年金に加入している人(被保険者)の数で判定します。また、直近12か月のうち6か月以上その人数を上回った時点で対象になり、いったん対象になると、その後人数が減っても原則として対象のままです。「一時的に人数を減らせば大丈夫」という考え方は通用しません。
4-2. 「時間を減らす」が連鎖すると現場が回らなくなる
加入を避けるために全員を週19時間に抑えると、1人あたりの労働時間が約5%減り、10人なら0.5人分の人手が消えます。さらに、雇用保険も2028年10月から「週10時間以上」に対象が広がるため、時間調整による“回避”の余地は今後どんどん小さくなります。時間調整は一時しのぎであり、根本的な解決策にはなりません。
4-3. 社会保険料の増加は「賃上げ税制」の対象にならない
中小企業には、給与を前年より増やすと法人税が安くなる「賃上げ促進税制」があります。しかし、この税制の計算に使う「給与等の支給額」には、会社が負担する社会保険料(法定福利費)は含まれません。「社会保険料が増えた分で賃上げ税制が使える」という誤解は非常に多いので注意してください。一方で、加入に合わせて時給を引き上げた分は「給与」として計算対象になります。
4-4. 国の支援策は「事前準備」がないと使えない
| 注意:支援策は申請のタイミングを逃すと受けられません 改正法では、新たに加入対象となる短時間労働者(標準報酬月額が一定額以下の人)について、会社が従業員本人の保険料負担を軽くした場合、その追加負担分を国が支援する特例(3年間)が設けられています。 また、社会保険の加入に合わせて手取り減を補う賃上げ等を行った会社を対象とする助成金(キャリアアップ助成金の関連コース)もあります。 いずれも計画書の事前提出や、就業規則・雇用契約書の整備が前提となることが多く、「加入させてから申請しよう」では間に合わないケースがあります。対象になる時期が見えた段階で、要件を確認してください。 |
5. 今から打つべき5つの準備ステップ
結論として、準備は「対象時期の確認」から始め、「従業員への説明」で終える5ステップで進めるのが最も確実です。対象となる1年前には着手してください。
| STEP 1 | 自社がいつ対象になるかを確認する 直近1年間の厚生年金の被保険者数を月ごとに一覧にし、2-2の年表に当てはめます。 |
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| STEP 2 | 対象になるパート・アルバイトを洗い出す 週20時間以上の人、20時間前後の人を名簿化し、本人の扶養状況(配偶者の扶養か、学生か等)も把握します。 |
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| STEP 3 | 会社負担額と手取り変化を試算する 1人あたりの会社負担、本人の手取り減、将来の年金増を数字にします(6章のシミュレーション参照)。 |
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| STEP 4 | 対応方針と人件費計画を決める 「そのまま加入」「時給を上げて加入」「時間を調整」を人ごとに検討し、支援策・賃上げ税制も含めた資金計画を立てます。 |
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| STEP 5 | 従業員に個別説明し、契約書を整える 手取りと保障の変化を一人ひとりに書面で説明し、雇用契約書・労働条件通知書を新しい条件に合わせて更新します。 |
6. シミュレーション:従業員40人の食品製造業(パート10人)のケース
結論として、このケースでは会社負担は年間約176万円増えますが、経費になる効果で実質負担は約118万円になります。さらに「時給を上げて手取りを守る」選択をしても、賃上げ税制を組み合わせることで負担を一部取り戻せます。
6-1. 前提条件
| 項目 | 内容 |
| 会社 | 地方の食品製造業(法人)。厚生年金の被保険者は正社員など40人 |
| 対象時期 | 2027年10月(36人以上の段階)で適用対象に |
| パート | 10人。時給1,100円×週20時間=月約9.5万円(年約114万円)。全員40歳未満 |
| 保険料率(概算) | 会社負担:給与の約15.0%/本人負担:給与の約14.5%(厚生年金・健康保険・子ども子育て関係を含む概算) |
| 標準報酬月額 | 98,000円(保険料計算の基準となる月額) |
| 法人の実効税率 | 約33%(黒字法人と仮定) |
6-2. 会社の負担はいくら増える?
| 項目 | 1人あたり(月) | 1人あたり(年) | パート10人(年) |
| 会社負担の社会保険料 | 約14,700円 | 約176,400円 | 約176万円 |
| 経費になることによる税負担の軽減(×33%) | — | 約▲58,200円 | 約▲58万円 |
| 実質的な会社負担 | — | 約118,200円 | 約118万円 |
6-3. パート本人の手取りと選択肢の比較
| 選択肢 | 月の給与 | 社会保険料(本人) | 月の手取り(概算) | 会社の追加負担(10人・年) |
| 加入前(現状) | 95,300円 | 0円 | 95,300円 | — |
| A:週19時間に減らして加入回避 | 90,500円 | 0円 | 90,500円 | 0円(ただし人手0.5人分減) |
| B:そのまま加入 | 95,300円 | 約14,200円 | 約81,100円 | 約176万円 |
| C:時給1,290円に上げて加入 | 約111,500円 | 約16,000円 | 約95,500円 | 約392万円 |
※所得税・住民税、雇用保険料(加入前から天引き)は比較を分かりやすくするため除いています。Cの標準報酬月額は110,000円で計算しています。
6-4. 将来の年金と賃上げ税制を加えると
Bのように加入した場合、パート本人の手取りは月約1.4万円減ります。一方で、厚生年金は加入1年ごとに年約6,400円ずつ、一生涯上乗せされます(98,000円×5.481/1000×12か月)。10年加入すれば、65歳以降の年金が年約6.4万円増える計算です。これに加えて、傷病手当金や出産手当金という「万一の給与保障」も得られます。
Cのように時給を上げた場合、パート10人の給与は年約194万円増えます。会社全体の給与総額を1億2,000万円とすると、増加率は約1.6%です。中小企業向けの賃上げ促進税制(前年比1.5%以上の増加で増加額の15%を税額控除)を使えれば、約29万円の法人税が減ります(法人税額の20%が上限)。社会保険料そのものは対象外ですが、時給アップ分は対象になるという4-3の論点が、ここで効いてきます。
| 税理士の実務視点:このケースでの推奨 人手不足が深刻な製造業では、Aの「時間を減らす」は現場の生産力を直接削るため、推奨しません。 最も現実的なのは、Bを基本としつつ、長く働いてほしい中核パートにはCを適用し、国の保険料支援特例や助成金で最初の3年間の負担を和らげる組み合わせです。 重要なのは、保険料の負担増を「月次の試算表」と「来期の経営計画」に事前に織り込むことです。決算直前に気づくと、資金繰りと納税計画の両方が狂います。 |
7. よくある質問(FAQ)
Q. うちは従業員30人ですが、今回の改正は関係ありますか?
A. はい、関係あります。厚生年金の被保険者が21人以上であれば、2029年10月から対象になります。11人以上なら2032年10月、それ以下でも2035年10月には人数要件がなくなります。「いつかは必ず対象になる」前提で、今から計画的に準備するのが正解です。
Q. 「106万円の壁」はいつなくなるのですか?
A. 月8.8万円の賃金要件は、2025年6月の改正法公布から3年以内の政令で定める日に撤廃されます。具体的な日付は最低賃金の動向を見て決まるため、今後の政府の発表を確認してください。撤廃後は、会社規模の要件を満たしていれば、週20時間以上働く人は月給にかかわらず加入対象になります。
Q. 週20時間未満に抑えれば、ずっと加入しなくて済みますか?
A. 社会保険については、週20時間未満であれば加入対象になりません。ただし、雇用保険は2028年10月から週10時間以上の人が対象になります。また、時間調整を続けると人手不足と採用難を招きます。時間調整は一時的な対策にとどめ、加入を前提とした人件費設計に切り替えることをお勧めします。
Q. 配偶者の扶養に入っているパートさんが会社の社会保険に入ると、どうなりますか?
A. 会社の社会保険に加入すると、年収130万円未満であっても配偶者の扶養からは外れ、ご本人が自分の健康保険と厚生年金に加入する形になります。その代わり、将来の厚生年金や傷病手当金などの保障が得られます。ご本人の家計への影響を個別に試算して説明することが、トラブル防止の鍵です。
Q. 会社が負担する社会保険料は経費になりますか?
A. はい、会社が負担する社会保険料は「法定福利費」として全額が経費(損金)になります。個人事業主の場合も、従業員分の事業主負担は経費です。なお、個人事業主ご自身の国民年金・国民健康保険料は経費ではなく、確定申告の「社会保険料控除」として所得から差し引きます。
8. まとめ & ご相談のご案内
最後に、この記事の要点を3行でまとめます。
- 「106万円の壁」と「51人以上」の条件はなくなり、週20時間以上働くパートは原則として社会保険に加入する時代になります。
- 会社負担はパート1人あたり年約18万円が目安ですが、経費になる効果・国の支援策・賃上げ税制で実質負担は下げられます。
- 「時間を減らす」より「加入を前提に人件費と手取りを設計し直す」ことが、人手不足時代に会社を守る正解です。
社会保険の適用拡大は、税金(法人税・賃上げ税制)と労務(社会保険・雇用契約・助成金)が複雑に絡み合うテーマです。税金だけ、労務だけの視点で判断すると、「保険料は抑えたが人が辞めた」「助成金の申請期限を逃した」といった損失につながりかねません。
当事務所では、税理士と社会保険労務士が同じチームで連携し、対象時期の確認から人件費シミュレーション、就業規則・雇用契約書の見直し、助成金の活用までをワンストップでご支援しています。国税の現場を知り尽くした元国税職員の税理士も在籍しており、税務面での判断にも確かな裏付けをもってお応えします。また、毎月の巡回監査を通じて、保険料の増加を試算表と経営計画に早めに織り込むことができます。
税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。「うちはいつから対象?」「いくら負担が増える?」という最初の疑問からで構いません。貴社の数字をもとに、最適な対応策を一緒に考えます。
相続した実家の名義、そのままで大丈夫?
相続登記義務化の期限「2027年3月末」までに経営者・資産家がやるべきこと
| 【この記事の結論】 ✔ 2024年4月から相続登記は義務になり、正当な理由なく放置すると10万円以下の過料の対象になります。 ✔ 義務化より前に発生した相続(親や祖父母の代の名義のままの土地)も対象で、その期限は2027年3月31日です。残りはちょうど半年です。 ✔ 遺産分割がまとまらない場合でも、「相続人申告登記」という簡単な手続きで義務を果たすことができます。 ✔ 2026年4月からは住所・氏名の変更登記も義務化されました。会社の事業用不動産が先代名義のままの経営者は、事業承継・融資・M&Aの障害になる前に今すぐ整理すべきです。 |
「父が亡くなって何年も経つけれど、実家の名義はそのまま」「祖父名義の田んぼがあるらしいが、誰が相続したのかよく分からない」――こうしたご相談は、税理士の現場で毎週のように寄せられます。
これまでは、名義を変えなくても罰則はありませんでした。しかし法律が変わり、不動産の名義変更は「やった方がいいこと」から「やらなければならないこと」に変わりました。しかも、昔の相続についての猶予期限は2027年3月31日。「まだ先」と思っていると、あっという間に期限が来ます。
この記事では、相続登記の義務化の中身、期限、放置した場合のリスク、そして費用を抑えて確実に手続きを終える方法を、中学生でも分かる言葉で解説します。結論から言えば、「まず自分の家の不動産の名義を確認し、分割が難しければ相続人申告登記で期限を守る」。これが実務上の最善手です。
相続登記の義務化とは?まず押さえるべき基本
結論として、相続登記の義務化とは、不動産を相続した人に「3年以内に名義変更の登記をする義務」を課すルールのことです。
相続登記とは何か
相続登記とは、亡くなった人の名義になっている土地や建物を、相続した人の名義に書き換える手続きのことです。法務局という国の役所が管理する「登記簿」という台帳に、「この土地の持ち主は誰か」が記録されています。
身近な例えでいえば、登記簿は「土地や建物の住民票」のようなものです。人が引っ越したら住民票を移すように、持ち主が変わったら登記簿も書き換える必要があります。ところが、これまでは書き換えなくても罰則がなかったため、亡くなった人の名前のまま何十年も放置された土地が全国に大量に生まれてしまいました。
なぜ義務化されたのか
理由は「所有者不明土地」の増加です。所有者不明土地とは、登記簿を見ても今の持ち主が分からない、または連絡がつかない土地のことです。その合計面積は九州本島を上回る規模とも言われ、道路工事や災害復旧、空き家対策が進まない大きな原因になっていました。そこで国は、相続のたびに名義を確実に更新してもらうため、2024年4月1日から相続登記を義務にしたのです。
| [画像指示:亡くなった親名義の土地が放置され、孫・ひ孫の代で相続人が数十人に増えていく様子を示す家系図イラスト / キャプション:名義を放置すると、世代を重ねるごとに相続人がねずみ算式に増えていきます] |
期限と過料:いつまでに何をしなければならないのか
結論として、相続で不動産を取得したと知った日から3年以内に登記をしなければなりません。義務化前の相続は、2027年3月31日が最終期限です。
相続登記と住所変更登記の2つの義務
今回の法改正では、相続登記だけでなく、持ち主の住所や氏名が変わったときの変更登記も義務になりました。2つを並べると次のとおりです。
▼ 相続登記と住所・氏名変更登記の義務化比較
| 項目 | 相続登記 | 住所・氏名変更登記 |
| 施行日 | 2024年4月1日 | 2026年4月1日 |
| 期限 | 相続で取得したことを知った日から3年以内 | 住所・氏名が変わった日から2年以内 |
| 罰則 | 正当な理由なく怠ると10万円以下の過料 | 正当な理由なく怠ると5万円以下の過料 |
| 施行日前の分 | 2027年3月31日までに登記が必要 | 2028年3月31日までに登記が必要 |
| 簡易な方法 | 相続人申告登記 | 検索用情報の申出(法務局による職権変更) |
「3年以内」はいつから数えるのか
3年のカウントは、亡くなった日ではなく、「自分が相続人であること」と「その不動産を取得したこと」の両方を知った日から始まります。たとえば、疎遠だった叔父が亡くなったことを1年後に知った場合は、その知った日からの3年です。
また、遺産分割協議(相続人全員で「誰が何を相続するか」を決める話し合い)がまとまった場合は、まとまった日から3年以内に、その内容どおりの登記をする必要があります。
過料はいきなり科されるのか
過料とは、刑罰ではない行政上の金銭的なペナルティのことです。前科はつきませんが、支払い義務は生じます。法務局は、登記漏れを把握すると、まず「期限内に登記してください」という催告(お知らせ)を送ります。それでも正当な理由なく応じない場合に、裁判所へ通知され、過料が決まる流れです。
| ⚠ 「催告が来てから動けばいい」は危険です 催告が来た時点で慌てて動いても、戸籍集めや相続人全員の合意には数か月かかることが珍しくありません。特に相続人が多い古い相続では、催告後の期間内に終わらないおそれがあります。 正当な理由とは、相続人が極めて多く戸籍収集に長期間かかる場合や、相続人に重病の方がいる場合などに限られます。「忙しかった」「知らなかった」は原則として認められません。 |
相続登記を放置すると起きる5つのリスク
結論として、放置の本当のリスクは過料よりも、「売れない・貸せない・担保にできない」状態が固定化し、次の世代に問題が雪だるま式に大きくなることです。
■ リスク1:相続人がねずみ算式に増える(数次相続)
数次相続とは、遺産分割が終わらないうちに相続人の誰かが亡くなり、次の相続が重なることです。祖父名義の土地を放置している間に父やおじが亡くなれば、その配偶者や子どもたちも話し合いに加わる必要があります。当初3人だった相続人が、10年後には10人以上になることもあります。
■ リスク2:売却も融資の担保にもできない
登記簿の名義が亡くなった人のままでは、不動産を売ることも、銀行融資の担保に入れることもできません。「いざ売りたい」と思ったときに数か月の手続きが必要になり、買い手を逃すことになります。
■ リスク3:一部の相続人の持分が差し押さえられる
相続人の中に借金を抱えた人がいると、その人の法定相続分が債権者に差し押さえられることがあります。会社の工場や店舗の敷地で起きれば、事業そのものが揺らぎます。
■ リスク4:事業承継やM&Aが止まる
中小企業では、会社が使っている土地や建物が社長個人や先代名義になっているケースが多くあります。事業承継やM&Aの際、買い手や金融機関は必ず不動産の権利関係を確認します。名義が整理されていないだけで交渉が数か月止まる、あるいは譲渡価格の引き下げを求められることは実務で実際に起きています。
■ リスク5:相続税の特例が使えなくなることがある
登記そのものと相続税は別の手続きですが、放置の原因である「遺産分割がまとまらない状態」は相続税に直結します。相続税の申告期限(亡くなった日の翌日から10か月)までに分割が終わっていないと、小規模宅地等の特例(自宅や事業用地の評価を最大80%減額する制度)や配偶者の税額軽減が、その時点では使えません。
| 💡 税理士の実務視点 相続税がかからない家庭でも、相続登記の義務は必ずかかります。「うちは財産が少ないから関係ない」は誤解です。 逆に相続税の申告が必要なご家庭では、申告と登記を同じタイミングで進めるのが最も効率的です。遺産分割協議書や戸籍一式を両方の手続きで共用でき、手間も費用も抑えられます。 |
状況別に選ぶ3つの解決策
結論として、①分割がまとまるなら通常の相続登記、②まとまらないなら相続人申告登記で期限を守る、③いらない土地なら相続土地国庫帰属制度を検討、の3つから選びます。
▼ 相続した不動産の3つの対処法の比較
| 項目 | 通常の相続登記 | 相続人申告登記 | 相続土地国庫帰属制度 |
| どんな手続き? | 相続人の名義に正式に変更する | 「自分が相続人です」と法務局に申し出る | 不要な土地を国に引き取ってもらう |
| 義務を果たせるか | 〇(完全に解決) | 〇(ひとまず義務は履行) | 〇(所有者でなくなる) |
| 必要な合意 | 分割協議なら相続人全員 | 不要(1人で申出可) | 共有なら共有者全員 |
| 費用 | 登録免許税(評価額の0.4%)+専門家報酬 | 登録免許税はかからない | 審査手数料+負担金(原則20万円) |
| 売却・担保 | 可能 | 不可(別途正式な登記が必要) | ― |
| 向いている人 | 分割がまとまっている人 | 話し合いが長引きそうな人 | 管理できない山林・農地などを持つ人 |
相続人申告登記とは
相続人申告登記とは、「この不動産の持ち主が亡くなり、私はその相続人の一人です」と法務局に申し出るだけで、相続登記の義務を果たしたとみなされる制度です。相続人全員の合意は不要で、自分の戸籍謄本などを出せば1人で手続きができます。登録免許税もかかりません。
たとえるなら、「宿題はまだ終わっていないけれど、提出日までに途中経過を先生に届けておく」ようなものです。ただし、これで持ち主が確定するわけではないため、後日遺産分割がまとまったら、その日から3年以内に正式な相続登記が必要です。
相続土地国庫帰属制度とは
相続土地国庫帰属制度とは、相続で取得した不要な土地を、一定の条件を満たせば国が引き取ってくれる制度です。2023年4月から始まりました。建物が建っていない、担保が付いていない、境界争いがないなどの条件があり、10年分の管理費相当として負担金(原則20万円)を納めます。遠方の山林や使い道のない農地を持て余している方には有力な選択肢です。
相続登記の進め方:6つのステップ
結論として、手続きは「財産の把握→戸籍集め→分割協議→申請」の順で進めます。最初の2ステップに最も時間がかかるため、早く着手するほど有利です。
▼ 相続登記完了までの流れ
| STEP 1 相続した不動産をすべて洗い出す |
固定資産税の納税通知書、市区町村の「名寄帳」、2026年2月に始まった「所有不動産記録証明制度」(亡くなった人名義の不動産を全国分まとめて調べられる制度)を活用します。
▼
| STEP 2 戸籍謄本を集めて相続人を確定する |
亡くなった人の出生から死亡までの戸籍が必要です。2024年3月から、本籍地以外の市区町村窓口でもまとめて取得できる「広域交付」が使えます。
▼
| STEP 3 遺産分割協議を行う |
相続人全員で誰が何を相続するかを決め、遺産分割協議書に全員が署名・実印を押します。まとまらない場合は相続人申告登記で期限を守ります。
▼
| STEP 4 登記申請書を作成する |
固定資産評価証明書をもとに登録免許税を計算し、申請書を作ります。
▼
| STEP 5 法務局に申請する |
不動産所在地を管轄する法務局へ、窓口・郵送・オンラインのいずれかで申請します。
▼
| STEP 6 登記完了・権利証(登記識別情報)を受け取る |
完了後に通知される登記識別情報は、将来の売却時に必要なので厳重に保管します。
| [画像指示:書類の束(戸籍・協議書・評価証明書)を持って法務局に向かう家族のイラスト / キャプション:準備書類をそろえれば、手続き自体はシンプルです] |
| 💡 税理士の実務視点:自分でやるか、専門家に頼むか 相続人が配偶者と子だけで、不動産が自宅1か所といったシンプルなケースなら、ご自身での申請も十分可能です。 一方、相続人が多い古い相続、複数の市区町村に土地が散らばっている、事業用不動産が含まれる、相続税の申告もある、のいずれかに当てはまる場合は、税理士と司法書士の連携に任せた方が、結果的に時間も費用も少なく済みます。 |
具体的なシミュレーション:放置した場合といま手続きした場合の比較
結論として、今すぐ手続きをすれば約20万円で済むものが、放置して次の相続が重なると、手間と費用が2倍以上に膨らみます。
ケース設定
- 5年前に父が死亡。相続人は母・長男(会社経営者)・長女の3人
- 父名義の自宅:土地の固定資産税評価額1,500万円、建物300万円
- 父名義の地方の山林:固定資産税評価額80万円
- 遺産分割はまだ話し合っていない(相続税は基礎控除内で申告不要だった)
▼ 今手続きする場合の費用概算
| 費用項目 | 計算 | 金額(概算) |
| 登録免許税(自宅) | (1,500万円+300万円)×0.4% | 72,000円 |
| 登録免許税(山林) | 評価額100万円以下の土地の免税措置を適用 | 0円 |
| 戸籍・評価証明書等の実費 | ― | 約10,000円 |
| 司法書士報酬(目安) | 不動産2か所・相続人3人 | 約100,000円 |
| 合計 | 約182,000円 |
※司法書士報酬は事案や地域により異なります。免税措置は適用期限(2027年3月31日まで)内の登記が前提です。
放置した場合に起きること
このまま10年放置し、その間に母が亡くなったとします。すると父の相続と母の相続が重なり(数次相続)、戸籍収集の範囲が広がり、書類作成も2つの相続分必要になります。さらに長女が亡くなれば、長女の夫と子ども2人が話し合いに加わり、相続人は3人から5人以上に増えます。
▼ 今手続きした場合と10年放置した場合の比較
| 項目 | 今手続きする | 10年放置した場合 |
| 話し合う相続人 | 3人(家族内で完結) | 5人以上(義理の親族を含む) |
| 専門家報酬・実費 | 約11万円 | 20万〜40万円程度に増加 |
| 登録免許税 | 約7.2万円(山林は免税) | 評価額・免税措置の有無により増加の可能性 |
| 過料のリスク | なし | 最大10万円(1人あたり) |
| 売却・担保 | すぐ可能 | 手続き完了まで不可 |
| 家族関係 | 円満に決めやすい | 疎遠な親族との交渉で難航しやすい |
| 💡 税理士の実務視点 この試算で最も大きな差は、実はお金ではなく「話し合いの難しさ」です。母が元気なうちなら家族3人で決められることも、世代が変わると顔も知らない親族の実印が必要になります。 長男が会社経営者の場合、自宅の土地を将来の会社の借入の担保に使う可能性もあります。名義を整えておくことは、そのまま経営の選択肢を広げることにつながります。 |
よくある質問(FAQ)
Q. 相続登記をしないと、必ず10万円の過料を払うことになりますか?
A. いいえ、必ずではありません。法務局からの催告に応じて期限内に登記すれば過料は科されません。また、相続人が極めて多いなどの正当な理由があれば対象外です。ただし「知らなかった」「忙しかった」は正当な理由になりません。催告を待たず、早めに手続きすることをおすすめします。
Q. 兄弟で遺産の分け方がまとまりません。どうすればいいですか?
A. 相続人申告登記を利用してください。相続人1人だけで申し出ることができ、登録免許税もかからず、ひとまず相続登記の義務を果たしたことになります。その後分割がまとまったら、その日から3年以内に正式な相続登記を行います。
Q. 祖父名義のままの土地があります。これも義務化の対象ですか?
A. はい、対象です。義務化前(2024年4月1日より前)に発生した相続も含まれ、原則として2027年3月31日までに登記が必要です。祖父から父、父から自分と相続が重なっている場合は手続きが複雑になるため、早めの着手が重要です。
Q. 相続税がかからなかった場合でも、相続登記は必要ですか?
A. 必要です。相続税の申告と相続登記はまったく別の手続きです。相続税が基礎控除内でゼロだった場合でも、不動産を相続したなら登記の義務はかかります。
Q. 会社が使っている土地が、亡くなった先代社長の個人名義のままです。何から始めればいいですか?
A. まずは登記簿謄本(登記事項証明書)を取り、現在の名義と担保の状況を確認してください。そのうえで、後継者が相続するのか、会社が買い取るのか、会社に賃貸するのかによって、登記だけでなく相続税・法人税・贈与税の影響が変わります。登記と税務を一体で検討することが重要です。
まとめ:期限の半年前の今こそ、名義の確認から始めましょう
この記事の要点を3行でまとめます。
- 相続登記は2024年4月から義務化され、義務化前の相続の期限は2027年3月31日。住所変更登記も2026年4月から義務になりました。
- 分割がまとまらなくても「相続人申告登記」で期限は守れます。不要な土地は国庫帰属制度も選択肢です。
- 放置の本当のリスクは過料ではなく、相続人の増加と、売却・融資・事業承継ができなくなることです。
相続登記は「名義を書き換えるだけ」に見えて、実は相続税、事業承継、会社の資金繰りにまで影響する重要な手続きです。特に会社の事業用不動産が関わる場合、誰の名義にするかで将来の税負担が大きく変わります。
私たちは、国税OBを含む税理士と社会保険労務士が連携し、相続・事業承継を財務と労務の両面から支えてきました。司法書士とのネットワークにより、相続税の申告から登記までワンストップで対応し、長年の巡回監査で培った「ご家族と会社の事情に寄り添う姿勢」で、円満な解決をお手伝いします。
| 【この記事の結論】 ✔ 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 ✔ 「実家の名義を確認したい」「先代名義の会社の土地をどうすべきか」といった、最初の一歩のご相談から承っています。 |
決算前に知らないと損する
小規模企業共済と倒産防止共済の違いと経営者が失敗しない使い分け
「利益が出そうだけど、税金で持っていかれるのはもったいない」「共済がいいと聞くけれど、どれに入ればいいのか分からない」――決算や年末が近づくと、多くの経営者がこうした悩みを抱えます。
経営者の節税の「二大定番」と言われるのが、小規模企業共済と経営セーフティ共済(中小企業倒産防止共済)です。名前は似ていますが、目的も税金の効き方もまったく違います。使い方を間違えると、元本割れや「節税したつもりが後で大きな税金」という失敗につながります。
この記事では、2つの共済の違いを家庭のやりくりに例えながらやさしく解説し、実際の数字で「いくら税金が変わるのか」をシミュレーションします。読み終えるころには、自社と自分にとってどちらを、いくら、いつ始めるべきかが判断できるようになります。
| 【この記事の結論】 ① 小規模企業共済は「社長個人の退職金づくり」。掛金は全額が社長個人の所得から差し引かれ、税金が本当に減る(節税効果が確定する)制度です。 ② 経営セーフティ共済は「会社の非常用財布」。掛金は全額が会社の経費になりますが、解約時に収入として戻るため、税金を先送りする(課税の繰延べ)制度です。 ③ 失敗しない使い方は「両方を組み合わせ、セーフティ共済は解約する年(役員退職金の支給年や赤字の年)まで決めてから加入する」ことです。 |
[画像指示:社長個人の「退職金の貯金箱」と会社の「非常用の財布」を並べて比較するイラスト / キャプション:小規模企業共済は社長個人のため、倒産防止共済は会社のための制度です]
1. 2つの共済とは?「自分の退職金」と「会社の非常用財布」
結論から言うと、2つの共済の違いは「誰のための制度か」です。小規模企業共済は社長個人のため、経営セーフティ共済は会社のための制度です。どちらも国の機関(独立行政法人中小企業基盤整備機構)が運営しているため、安心して利用できます。
小規模企業共済とは
小規模企業共済とは、小さな会社の役員や個人事業主が、自分の退職金を自分で積み立てる制度のことです。会社員には会社が用意する退職金がありますが、社長や個人事業主には誰も用意してくれません。そこで国が「自分で積み立てるなら、その分の税金を安くしますよ」と後押ししているのがこの制度です。
経営セーフティ共済(中小企業倒産防止共済)とは
経営セーフティ共済とは、取引先が倒産して売掛金が回収できなくなったときに、無担保・無保証人でお金を借りられるように、会社が掛金を積み立てておく制度のことです。家庭で言えば「もしものときの非常用財布」です。この掛金が全額経費になるため、節税策としても広く使われています。
| 項目 | 小規模企業共済 | 経営セーフティ共済 |
| 目的 | 社長個人の退職金づくり | 取引先倒産への備え(会社の資金) |
| 掛金を払う人 | 社長個人(または個人事業主) | 会社(または個人事業主) |
| 毎月の掛金 | 1,000円〜7万円(500円単位) | 5,000円〜20万円(5,000円単位) |
| 積立の上限 | なし | 掛金総額800万円まで |
| 税金の扱い | 全額が個人の所得控除 | 全額が会社の経費(損金) |
| 節税の性質 | 税金が減る(確定的な節税) | 税金の先送り(繰延べ) |
| 受け取るときの税金 | 退職所得・年金の雑所得など優遇あり | 会社の収入(益金)として課税 |
| 元本割れの注意 | 加入20年未満の任意解約 | 加入40か月未満の解約 |
表1:小規模企業共済と経営セーフティ共済の比較
2. 小規模企業共済の仕組みとメリット・デメリット
結論として、小規模企業共済は「長く続ける前提」であれば、経営者にとって最も効果の高い節税策の一つです。一方で、途中でやめると損をする仕組みになっている点に注意が必要です。
メリット①:掛金が全額、所得から差し引かれる
掛金は「小規模企業共済等掛金控除」として、全額がその年の所得から差し引かれます。月7万円なら年84万円が差し引かれ、所得税と住民税が下がります。1年以内の分の掛金をまとめて前納した場合も、支払った年の控除にできます。
メリット②:受け取るときも税金が優遇される
廃業や役員退任のときに一括で受け取る共済金は「退職所得」として扱われます。退職所得は、退職所得控除を差し引いた残りの半分にしか税金がかからないため、税負担がとても軽くなります。分割で受け取る場合は公的年金等の雑所得となり、公的年金等控除が使えます。
メリット③:いざというときに借りられる
掛金の範囲内で、事業資金などを低金利で借りられる貸付制度があります。解約せずに資金繰りの急場をしのげるのは大きな安心材料です。
デメリット・注意点
- 加入できる人に条件がある:常時使用する従業員が20人以下(商業・サービス業は5人以下、宿泊業・娯楽業は20人以下)の会社の役員や個人事業主が対象です。
- 途中でやめると損をする:自己都合の任意解約の場合、掛金を払った期間が12か月未満だと1円も戻らず、20年(240か月)未満だと払った額を下回ります。
- 会社の経費にはならない:掛金は社長個人が払うものです。会社が代わりに払うと、社長への給与として扱われます。
| 💡 税理士の実務視点 小規模企業共済は「無理のない金額で、長く続ける」のが鉄則です。いきなり上限の月7万円にせず、役員報酬の手取りと生活費のバランスを見て決めましょう。 当事務所の実務では、役員報酬の設定と小規模企業共済の掛金をセットで設計することをおすすめしています。報酬を少し上げて会社の法人税を抑え、増えた個人の所得を共済の掛金で圧縮する、という組み立てが可能だからです。 |
3. 経営セーフティ共済の仕組みとメリット・デメリット
結論として、経営セーフティ共済は「利益が出た年に税金を先送りし、会社にお金を残す」ための制度です。ただし、解約時には必ず税金がかかるため、入口(加入)と出口(解約)をセットで設計することが成功の条件です。
メリット①:掛金が全額経費になり、最大年240万円まで損金にできる
掛金は月最大20万円、年240万円まで全額が会社の経費(損金)になります。さらに、1年以内の分をまとめて前納すれば、その年度の経費にできます。決算直前に利益が大きく出そうなときに、年払いで加入する方法がよく使われます。
メリット②:40か月以上続ければ全額戻ってくる
掛金を40か月以上払っていれば、解約したときに払った掛金が100%戻ってきます。月20万円なら40か月で上限の800万円に達し、そのまま積立金として置いておくこともできます。
メリット③:取引先が倒産したときに借りられる
取引先が倒産して売掛金が回収できなくなったとき、掛金総額の10倍(最高8,000万円)の範囲内で、回収できなくなった金額まで無担保・無保証人・無利子で借りられます。ただし、借りると掛金の一部が戻らなくなる点には注意が必要です。
注意点①:「節税」ではなく「税金の先送り」である
解約して戻ってきたお金(解約手当金)は、その年の会社の収入(益金)になります。つまり、払ったときに減った税金は、解約したときに戻ってくる計算です。解約する年に利益が大きいと、先送りした税金をまとめて払うことになります。
注意点②:2024年10月以降の解約は、再加入後2年間の掛金が経費にならない
以前は「利益が出た年に加入し、赤字の年に解約し、また加入する」という使い方ができました。しかし、2024年10月1日以後に解約した場合、その後2年以内に再加入して払った掛金は経費にできなくなりました。安易な「解約と再加入の繰り返し」はできなくなったのです。
| ⚠ 実務上の落とし穴 経営セーフティ共済は、引き続き1年以上事業を行っている中小企業者でないと加入できません。設立したばかりの会社は、1年を待ってからの加入となります。 掛金を経費にするには、法人は申告書に所定の明細書(別表)を、個人事業主は確定申告書に必要経費算入に関する明細書を添付する必要があります。添付を忘れると経費として認められないおそれがあります。 加入から12か月未満で解約すると掛金は1円も戻らず、40か月未満では元本割れします。 |
4. 2つの共済をどう使い分ける?判断の5ステップ
結論として、まずは確定的に税金が減る小規模企業共済を優先し、会社に利益と資金の余裕がある場合に経営セーフティ共済を上乗せするのが基本です。以下の5ステップで判断してください。
| STEP 1 | 加入条件を確認する 従業員数(小規模企業共済)と事業年数1年以上(経営セーフティ共済)の条件を満たしているかを確認します。 |
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| STEP 2 | 社長個人の手取りと生活費を整理する 役員報酬の手取りから生活費を引き、毎月無理なく積み立てられる金額を出します。これが小規模企業共済の掛金の目安です。 |
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| STEP 3 | 会社の利益と資金繰りを見込む 今期と来期の利益見込み、手元資金の余裕を確認します。掛金を払ってもお金が回るかが最重要です。 |
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| STEP 4 | セーフティ共済の「出口」を決める 役員退職金を払う予定の年、大きな設備投資や修繕をする年など、解約手当金の収入をぶつけられる年を想定します。出口が決まらないなら、加入は慎重にします。 |
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| STEP 5 | 掛金と支払方法を決めて申し込む 決算前なら年払い(前納)の活用も検討します。加入後は毎年、利益見込みに合わせて掛金の増減を見直します。 |
[画像指示:社長の人生設計(退職)と会社の利益の波をグラフにし、共済の加入と解約のタイミングを示した図解 / キャプション:「いつ解約するか」まで決めてから加入するのが成功の秘訣です]
5. 具体的なシミュレーション:いくら税金が変わる?
結論として、課税所得800万円の社長が小規模企業共済に月7万円を積み立てると、税金は毎年約28万円減ります。また、利益2,000万円の会社が経営セーフティ共済に年240万円を払うと、その年の法人税等は約79万円少なくなります(ただし解約時に課税)。
ケース1:小規模企業共済|社長の課税所得800万円、掛金月7万円
社長個人の課税所得が800万円のケースです。800万円は所得税の税率23%の区分にあり、掛金84万円を差し引いても716万円で同じ区分にとどまります(住民税は一律10%、復興特別所得税を含めて計算)。
| 項目 | 金額 |
| 年間の掛金(月7万円×12か月) | 840,000円 |
| 所得税の軽減額(84万円×23%×1.021) | 197,257円 |
| 住民税の軽減額(84万円×10%) | 84,000円 |
| 1年あたりの税金の軽減額 | 281,257円 |
| 20年間続けた場合の軽減額(同じ税率が続くと仮定) | 約562万円 |
表2:小規模企業共済に月7万円を積み立てた場合の税金の軽減額
20年間で払う掛金は1,680万円、その間に減る税金は約562万円です。さらに、受け取るときは退職所得として税負担が軽くなります。「払った分が将来戻り、しかも途中の税金が減る」のが小規模企業共済の強みです。
ケース2:経営セーフティ共済|会社の税引前利益2,000万円、年払い240万円
決算前に税引前利益が2,000万円となる見込みの会社が、年240万円を前納するケースです。法人税・住民税・事業税をあわせた実効税率は、簡便的に約33%と仮定します。
| 項目 | 共済なし | 共済あり(年240万円) |
| 税引前利益 | 2,000万円 | 1,760万円 |
| 法人税等(約33%) | 660万円 | 580.8万円 |
| その年の税金の差 | ― | 約79万円少ない |
| 会社に残る資産 | ― | 共済の積立金240万円 |
表3:経営セーフティ共済に年240万円を払った場合の法人税等の比較(概算)
この会社が毎年240万円を払い続けると、約3年4か月(40か月)で上限の800万円に達します。10年後に社長が退任し、役員退職金3,000万円を払う年に共済を解約すれば、解約手当金800万円の収入を退職金という大きな経費と相殺できます。これが「出口まで設計された」正しい使い方です。
| 💡 税理士の実務視点 出口がないまま解約すると、800万円がまるごと利益になり、約264万円(約33%)の税金がかかります。先送りした税金がそのまま戻ってくるだけで、手元には何も残りません。 一方、役員退職金の支給年や、大規模修繕・設備の除却で赤字になる年に解約すれば、税金をかけずに資金を取り戻せます。加入時に「解約予定年」を経営計画に書き込んでおくことを強くおすすめします。 |
よくある質問(FAQ)
Q. 小規模企業共済と経営セーフティ共済は両方に加入できますか?
A. はい、できます。小規模企業共済は社長個人、経営セーフティ共済は会社が加入する制度なので、同時に加入して組み合わせることが可能です。
Q. 資金繰りが苦しくなったら、掛金を減らしたり止めたりできますか?
A. できます。どちらの共済も掛金の減額が可能です。小規模企業共済には一時的に掛金の払込みを止める制度もあります。ただし、解約は元本割れにつながるため、まずは減額を検討しましょう。
Q. 決算直前に加入しても、今期の経費や控除にできますか?
A. できます。経営セーフティ共済は1年以内の分を前納すれば、支払った事業年度の経費にできます。小規模企業共済も、1年以内の前納分は支払った年の所得控除になります。ただし、申込みから引落しまで時間がかかるため、決算月の2か月前までには準備を始めてください。
Q. iDeCo(個人型確定拠出年金)とはどう違いますか?
A. iDeCoも掛金が全額所得控除になる点は同じですが、原則60歳まで引き出せず、運用成績によって受取額が変わります。小規模企業共済は廃業や退任で受け取れ、貸付制度もあります。両方に加入することも可能です。
Q. 解約したときの税金はどうなりますか?
A. 経営セーフティ共済の解約手当金は、法人なら益金、個人事業主なら事業所得の収入になります。小規模企業共済は、廃業や退任による受取りなら退職所得、自己都合の任意解約なら一時所得(65歳以上は退職所得)として扱われます。
まとめ:共済は「入り方」より「出口」で差がつく
- 小規模企業共済は社長個人の退職金づくりで、掛金が全額所得控除となり、税金が確実に減ります。
- 経営セーフティ共済は会社の非常用財布で、掛金は全額経費になりますが、解約時に課税される「税金の先送り」です。
- 2024年10月以降は解約後2年間の再加入掛金が経費にならないため、加入前に解約予定年まで決めておくことが成功の条件です。
共済は、加入の手続き自体は簡単です。しかし、役員報酬、役員退職金、会社の利益計画、資金繰りをどう組み合わせるかで、最終的に手元に残るお金は大きく変わります。当事務所では、税理士と社会保険労務士が連携し、役員報酬の最適化から退職金規程の整備、共済の出口設計まで、経営者の人生設計に寄り添ってトータルにサポートしています。
税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。決算の2か月前までにご相談いただければ、今期の対策にも十分間に合います。
2026年10月からインボイス経過措置は80%から70%へ
免税事業者との取引で会社が損をしない見直し術と2割特例の出口戦略
「外注先に免税事業者がいるけれど、10月から何がどう変わるの?」「2割特例が終わったら、うちの消費税はいくらになるの?」――インボイス制度が始まって3年。ようやく慣れてきたところで、2026年10月1日に制度の大きな節目がやってきます。
この記事では、インボイス制度の「経過措置」がどう縮小していくのか、会社(仕入れる側)と個人事業主(売る側)それぞれに何が起こるのかを、リンゴ屋さんの例え話と具体的な数字で、どこよりもやさしく解説します。読み終えるころには、10月までに何をすべきか、10月以降どんな順番で見直せばよいかがはっきり分かります。
| 【この記事の結論】 ① 免税事業者からの仕入れで差し引ける消費税の割合は、2026年10月1日から80%→70%に下がり、その後も50%→30%→0%と段階的に縮小します。 ② 会社側は「取引先ごとの影響額」を今すぐ計算し、価格据え置き・適正な価格協議・登録依頼のどれを選ぶかを取引先ごとに決めることが最優先です。 ③ 2割特例を使っている個人事業主・小さな会社は「特例が終わった後の納税額」を試算し、簡易課税の届出タイミングを逃さないことが最大の防衛策です。 |
[画像指示:インボイス経過措置の控除割合が80%→70%→50%→30%→0%と階段状に下がっていく様子を示すグラフ風イラスト / キャプション:2026年10月は「階段の一段目」。ここから毎年のように負担が増えていきます]
1. インボイスの「経過措置」とは?リンゴ屋さんで仕組みを理解する
結論から言うと、経過措置とは、インボイス(登録番号付きの請求書)をもらえない相手から仕入れても、消費税の一部だけは差し引いてよいとする「おまけ期間」のことです。このおまけが、2026年10月から少しずつ小さくなっていきます。
消費税は「預かった税」から「支払った税」を引いて納める
まず、消費税の基本の仕組みを確認しましょう。消費税とは、商品やサービスの代金に上乗せして、最終的にはお客さんが負担する税金のことです。お店や会社は、お客さんから「預かった消費税」から、自分が仕入れのときに「支払った消費税」を差し引いて、残りを国に納めます。この差し引きのことを「仕入税額控除(しいれぜいがくこうじょ)」と呼びます。
たとえば、リンゴ屋さんが農家から1,000円(+消費税100円)でリンゴを仕入れ、お客さんに2,000円(+消費税200円)で売ったとします。リンゴ屋さんが納める消費税は、預かった200円-支払った100円=100円です。
インボイスがないと「支払った税」を引けない
インボイス制度とは、「支払った消費税を差し引きたいなら、税務署に登録した事業者が発行する請求書(インボイス)を保存してください」というルールのことです。もし農家さんが登録していない免税事業者だと、リンゴ屋さんは支払った100円を原則として差し引けず、200円をまるまる納めることになります。
いきなり全額が差し引けなくなると商売が混乱するため、国は「最初の3年間は80%、その後は少しずつ減らす」という経過措置を設けました。これが今回の主役です。
2. 2026年10月から何が変わる?控除割合の新スケジュール
結論として、2026年10月1日から2028年9月30日までの2年間は70%、その後は50%、30%と下がり、2031年10月以降はゼロになります。当初は2026年10月から一気に50%へ下がる予定でしたが、令和8年度税制改正で下がり方がゆるやかに見直されました。
| 課税仕入れを行った期間 | 差し引ける割合 | 当初の予定(改正前) |
| 2023年10月1日〜2026年9月30日 | 80% | 80% |
| 2026年10月1日〜2028年9月30日 | 70% | 50%(〜2029年9月) |
| 2028年10月1日〜2030年9月30日 | 50% | 同上/2029年10月以降0% |
| 2030年10月1日〜2031年9月30日 | 30% | 0% |
| 2031年10月1日以降 | 0%(全額差し引けない) | 0% |
表1:免税事業者等からの仕入れに係る経過措置の控除割合(令和8年度税制改正後)
ゆるやかになっても「負担が増える」ことに変わりはない
当初の50%より緩和されたとはいえ、差し引ける額は確実に減ります。免税事業者への支払いが多い会社ほど、10月以降の消費税の納税額が増えます。「緩和されたから大丈夫」ではなく、「緩和されている今のうちに手を打つ」のが正しい受け止め方です。
一つの取引先から年10億円を超える仕入れには経過措置が使えない
見落としやすいルールとして、一つの免税事業者等からの仕入れが1年間(課税期間)で合計10億円(税込)を超える場合、その超えた部分には経過措置が使えません。大規模な外注先を抱える会社は注意が必要です。
| 💡 税理士の実務視点 経過措置の割合は「代金を払った日」ではなく「仕入れを行った日(商品の引渡しやサービスの提供が完了した日)」で判定します。9月30日までに納品・作業完了したものは、支払いが10月でも80%です。 月末締めの外注費や、9月末をまたぐ継続業務は、契約上いつ役務提供が完了したのかを請求書・納品書で明確にしておくと、税務調査でも説明がスムーズになります。 |
3. 会社(仕入れる側)への影響と3つの選択肢
結論として、会社がとるべき行動は「取引先ごとに影響額を計算し、①価格据え置き、②適正な価格協議、③インボイス登録の依頼、のいずれかを選ぶ」ことです。一律の対応ではなく、取引先ごとの判断が必要です。
選択肢①:価格を据え置いて会社が負担を受け入れる
腕のよい職人さんや長年のパートナーなど、取引関係を最優先したい相手には、差し引けなくなる消費税分を会社がかぶる選択もあります。影響額が小さい取引先はこの選択が合理的です。
選択肢②:取引先と価格について協議する
影響額が大きい場合は、取引条件の見直しを話し合います。ただし、一方的な値下げの押し付けは法律違反になるおそれがあります。必ず協議の場を設け、根拠を示して合意を得ることが大前提です。
選択肢③:取引先にインボイス登録を検討してもらう
取引先が登録すれば、会社は全額を差し引けます。ただし、登録すると取引先自身が消費税を納めることになるため、後述する2割特例や簡易課税の情報もあわせて伝えると、相手の不安が和らぎ、話がまとまりやすくなります。
| 選択肢 | 会社のメリット | 会社のデメリット・リスク | 向いている取引先 |
| ①価格据え置き | 関係が良好に保てる | 消費税負担が毎年増える | 影響額が小さい・代わりがきかない相手 |
| ②価格協議 | 負担を分け合える | 進め方を誤ると法令違反のリスク | 取引額が大きく、協議の余地がある相手 |
| ③登録依頼 | 全額差し引ける | 相手の負担増で関係悪化の可能性 | 売上規模があり、登録しても困らない相手 |
表2:免税事業者との取引における会社側の3つの選択肢の比較
| ⚠ 実務上の落とし穴 免税事業者であることを理由に、協議なしで一方的に取引価格を引き下げたり、取引を打ち切ったりすると、独占禁止法や下請法(2026年1月からは中小受託取引適正化法)上の問題となるおそれがあります。 価格協議は「経過措置の縮小でいくら負担が増えるのか」を数字で示し、書面で合意内容を残すのが鉄則です。 |
4. 個人事業主・小さな会社(売る側)への影響:2割特例の終わりと出口戦略
結論として、免税事業者からインボイス登録をした事業者が使える「2割特例」は終わりが近づいています。特例終了後の納税額を今のうちに試算し、簡易課税を選ぶかどうかを決めておくことが最も大切です。
2割特例とは?
2割特例とは、もともと免税事業者だった人がインボイス登録した場合に、納める消費税を「お客さんから預かった消費税の2割」だけでよいとする負担軽減措置のことです。届出は不要で、申告書にチェックを入れるだけで使えます。
■ 個人事業主の場合
2023年分から2026年分(2026年12月31日まで)の申告で使えます。つまり、2026年分の確定申告(2027年3月申告)が2割特例の最後です。
■ 法人の場合
2026年9月30日を含む事業年度までが対象です。たとえば3月決算の会社なら2027年3月期まで、9月決算の会社なら2026年9月期までとなります。
個人事業主には「3割特例」という激変緩和がある
令和8年度税制改正で、2割特例が終わった個人事業主について、2027年分・2028年分の2年間は、納める消費税を預かった消費税の3割とできる措置(いわゆる3割特例)が設けられました。いきなり本来の計算に戻るのではなく、もう一段階クッションがあると理解してください。なお、法人はこの対象外です。
特例が終わった後は「簡易課税」か「本則課税」を選ぶ
特例終了後の計算方法は2つです。簡易課税とは、実際の経費を集計せず、業種ごとに決められた割合(みなし仕入率)で支払った消費税を計算する方法のことです。本則課税とは、実際に支払った消費税を一つひとつ積み上げて計算する方法のことです。
| 計算方法 | 納める消費税の目安 | 手間 | 使える期間・条件 |
| 2割特例 | 預かった消費税×20% | 最も少ない | 個人:2026年分まで/法人:2026年9月30日を含む期まで |
| 3割特例 | 預かった消費税×30% | 少ない | 個人事業主のみ・2027年分と2028年分 |
| 簡易課税 | 預かった消費税×(1-みなし仕入率) | 少ない | 基準期間の売上5,000万円以下+事前届出 |
| 本則課税 | 預かった消費税-実際に支払った消費税 | 多い | 条件なし(原則的な方法) |
表3:インボイス登録事業者が選べる消費税の計算方法の比較
| 💡 税理士の実務視点 簡易課税は原則として「使いたい期の前の期の末日まで」に届出が必要です。ただし、2割特例を使った期の翌期に簡易課税を選ぶ場合は、その翌期中に届出を出せばその期から適用できる特例があります。 とはいえ、ギリギリの判断は禁物です。経費が多い業種(仕入れの多い小売業など)は本則課税の方が有利なこともあります。簡易課税は一度選ぶと原則2年間やめられないため、必ず両方の方法で試算してから届出を出しましょう。 |
5. 10月までに・10月以降にやるべき5ステップ
結論として、やるべきことは「洗い出し→影響額の計算→方針決定→協議・届出→経理体制の更新」の5つです。以下の順番で進めれば漏れがありません。
| STEP 1 | 取引先の洗い出し 外注先・仕入先の中から、インボイス登録をしていない取引先を一覧にします。国税庁の公表サイトで登録番号の有無を確認し、年間の取引額も並べます。 |
▼
| STEP 2 | 影響額の計算 取引先ごとに「年間支払額(税込)×10/110×(100%-差し引ける割合)」で、差し引けなくなる消費税を計算します。70%・50%・0%の3パターンで比べると将来の負担が見えます。 |
▼
| STEP 3 | 取引先ごとの方針決定 表2の3つの選択肢から、影響額と取引関係の重要度をふまえて方針を決めます。 |
▼
| STEP 4 | 協議・届出の実行 価格協議は書面で合意を残します。自社が2割特例の利用者なら、特例終了後の計算方法を試算し、簡易課税の届出期限をカレンダーに登録します。 |
▼
| STEP 5 | 経理処理の更新 会計ソフトの経過措置の設定を「80%」から「70%」に切り替えます。帳簿には経過措置の適用を受ける仕入れである旨の記載が必要です。 |
[画像指示:5ステップのチェックリストを経営者と担当者が確認している様子のイラスト / キャプション:10月1日をまたぐ前に、取引先一覧と会計ソフトの設定を必ず確認しましょう]
6. 具体的なシミュレーション:いくら負担が変わる?
結論として、免税事業者への年間支払いが税込1,100万円の会社では、差し引けない消費税が年20万円から30万円に増え、2031年10月以降は年100万円になります。また、売上800万円の個人事業主では、特例終了後に納税額が2倍以上になるケースがあります。
ケース1:会社(仕入れる側)|免税事業者の外注先に年間税込1,100万円を支払う
外注費1,000万円+消費税100万円=税込1,100万円を、インボイス登録をしていない職人さんに支払っている建設業の会社を想定します(消費税率10%で簡便計算)。
| 期間 | 差し引ける消費税 | 差し引けない消費税(会社の負担増) |
| 登録事業者だった場合 | 100万円 | 0円 |
| 〜2026年9月(80%) | 80万円 | 20万円 |
| 2026年10月〜2028年9月(70%) | 70万円 | 30万円 |
| 2028年10月〜2030年9月(50%) | 50万円 | 50万円 |
| 2030年10月〜2031年9月(30%) | 30万円 | 70万円 |
| 2031年10月〜(0%) | 0円 | 100万円 |
表4:年間税込1,100万円の外注費に係る消費税負担の推移
10月からの増加額は年10万円ですが、5年後には年100万円の差になります。同じ規模の取引先が3社あれば、最終的には年300万円です。「今は小さな差」でも、先を見た判断が必要なことが分かります。
ケース2:個人事業主(売る側)|売上税込880万円のWebデザイナー
売上800万円+消費税80万円=税込880万円、経費は税込220万円(うち消費税20万円)の個人デザイナーを想定します。デザイン業は簡易課税では「第5種事業(サービス業等)」で、みなし仕入率は50%です。
| 計算方法 | 計算式 | 納める消費税 |
| 2割特例(2026年分まで) | 80万円×20% | 16万円 |
| 3割特例(2027・2028年分) | 80万円×30% | 24万円 |
| 簡易課税(第5種) | 80万円-80万円×50% | 40万円 |
| 本則課税 | 80万円-20万円 | 60万円 |
表5:売上税込880万円の個人事業主の消費税納税額の比較
このケースでは、2027年・2028年は3割特例の24万円、2029年以降は簡易課税の40万円が最も有利です。本則課税のままだと60万円となり、2割特例の時代と比べて年44万円も負担が増えます。簡易課税の届出を忘れるだけで、毎年20万円の差がつくのです。
| 💡 税理士の実務視点 会社側の「差し引けない消費税」は、法人税の計算上は経費(損金)になるため、その分だけ法人税は軽くなります。しかし、現金が出ていく事実は変わりません。消費税・法人税・資金繰りを一体で見て判断することが、経営判断としての正解です。 個人事業主側は、特例が終わる年の前年に、翌年以降の納税額を資金繰り表に組み込んでおくと、納税時期に慌てずに済みます。 |
よくある質問(FAQ)
Q. 9月に作業が終わり、10月に支払う外注費は80%と70%のどちらですか?
A. 80%です。経過措置の割合は、代金を支払った日ではなく、仕入れを行った日(引渡しや役務提供が完了した日)で判定します。
Q. 経過措置を使うために必要な書類はありますか?
A. はい。取引先が発行する、内容や金額が区分された請求書等を保存し、帳簿に経過措置の適用を受ける仕入れである旨(「80%控除対象」「70%控除対象」など)を記載する必要があります。
Q. 自社が簡易課税を選んでいる場合も影響はありますか?
A. 自社の納税額への直接の影響はありません。簡易課税は売上をもとに計算するため、仕入先が登録事業者かどうかは関係しないからです。ただし、自社の取引先から登録状況を確認されることはあります。
Q. 2割特例を使うのに届出は必要ですか?
A. 不要です。消費税の申告書に2割特例を適用する旨を記載するだけで使えます。毎回、有利な方法を選べるのも特長です。
Q. インボイス登録をやめて免税事業者に戻ることはできますか?
A. 登録取消しの届出書を提出すれば可能です。ただし、提出期限があるほか、登録した時期によっては一定期間は免税事業者に戻れない制限があります。取引先への影響も大きいため、必ず事前に専門家に相談してください。
まとめ:10月1日は「見直しのスタートライン」
- 免税事業者からの仕入れで差し引ける消費税は、2026年10月1日から80%→70%に縮小し、2031年10月にはゼロになります。
- 会社側は取引先ごとの影響額を計算し、価格据え置き・適正な協議・登録依頼を使い分けることが重要です。
- 2割特例を使う事業者は、3割特例や簡易課税を含めた「特例後の納税額」を試算し、届出の期限を逃さないことが最大の防衛策です。
インボイス制度の経過措置は、取引先との関係、消費税、法人税、そして資金繰りのすべてに関わる経営テーマです。当事務所では、国税の実務を知り尽くした税理士が、取引先ごとの影響額の試算から、価格協議の進め方、簡易課税の有利不利判定まで、会社の実情に合わせて具体的にサポートしています。
税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。10月1日をまたぐ前の今こそ、見直しの絶好のタイミングです。
10月からインボイスの経過措置が縮小!
免税事業者との取引と「2割特例」終了で損をしないために経営者が今すぐやるべきこと
「インボイスって、もう対応は終わったはずでは?」「10月から何か変わるらしいけれど、うちに関係あるの?」――そう感じている経営者・個人事業主の方は少なくありません。実は、インボイス制度が始まった2023年10月から「3年間の助走期間」として用意されていた優遇ルールが、2026年9月30日で一区切りを迎えます。
この記事を読めば、10月以降に「何が」「いくら」変わるのか、買い手(仕入れる側)と売り手(売る側)それぞれの立場で損をしないための具体的な手順が、数字付きで分かります。
| 結論 ① 免税事業者からの仕入れは、2026年10月1日から消費税を差し引ける割合が「80%」から縮小します。外注費が多い会社ほど、手元に残るお金が減ります。 ② 「2割特例」(売上の消費税の2割だけ納めればよい特例)は、2026年9月30日を含む課税期間で適用期間が終わります。個人事業主には激変緩和の「3割特例」が用意されますが、法人にはありません。 ③ やるべきことは「取引先の登録状況の確認」「価格・契約の見直し」「来期の計算方法(簡易課税か原則課税か)の選択」の3つ。特に届出書の期限を逃すと、1年間取り返しがつきません。 |
[画像指示:2026年10月を境に変わるインボイスの2つの経過措置(仕入側の控除割合・売上側の2割特例)を時系列で示すタイムライン図 / キャプション:2026年10月はインボイス制度の「第2段階」のスタートです]
そもそもインボイス制度とは?3分でおさらい
結論から言うと、インボイス制度とは「国に登録した事業者が発行する正式な請求書(インボイス)がないと、支払った消費税を納税額から差し引けない」仕組みのことです。
リンゴ屋さんで考える消費税の仕組み
消費税は「お客さんから預かった消費税」から「仕入れのときに支払った消費税」を差し引いた残りを国に納める仕組みです。この差し引くことを「仕入税額控除(しいれぜいがくこうじょ)」といいます。仕入税額控除とは、二重に税金を払わないために、仕入れで払った消費税を納税額から引ける制度のことです。
例えば、あなたがリンゴ屋さんで、農家から1,100円(うち消費税100円)でリンゴを仕入れ、お客さんに2,200円(うち消費税200円)で売ったとします。このとき国に納めるのは「200円-100円=100円」です。
ところがインボイス制度のもとでは、農家がインボイスを発行できない「免税事業者」だった場合、原則としてこの100円を差し引けません。つまり、リンゴ屋さんは200円をまるごと納めることになり、100円分損をします。
免税事業者と課税事業者の違い
免税事業者とは、2年前(基準期間)の売上が1,000万円以下などの条件を満たし、消費税を納める義務が免除されている事業者のことです。一方、課税事業者とは消費税を納める義務がある事業者のことで、インボイスを発行するには「適格請求書発行事業者」として登録し、課税事業者になる必要があります。
| 区分 | 消費税の納税 | インボイス発行 | 取引先(買い手)の控除 |
| 免税事業者(未登録) | なし | できない | 原則不可(経過措置で一部可) |
| インボイス登録事業者 | あり | できる | 全額可 |
| 2割特例を使う登録事業者 | 売上税額の2割 | できる | 全額可 |
2026年10月に何が変わるのか?2つの経過措置の変更点
結論として、10月から変わるのは「買い手側の80%控除」と「売り手側の2割特例」の2つです。どちらも制度開始時の混乱を和らげるための期間限定ルールで、2026年9月30日が節目になります。
変更点①:免税事業者からの仕入れの「80%控除」が縮小
インボイス制度には、免税事業者からの仕入れでも一定割合の消費税を差し引ける「経過措置」があります。経過措置とは、新しいルールへ急に切り替えると混乱するため、段階的に移行させる期間限定の特例のことです。
2023年10月から2026年9月までは、免税事業者に支払った消費税相当額の80%を差し引けました。これが令和8年度税制改正により、当初予定の「50%へ一気に引き下げ」から、より緩やかな段階的縮小へ見直されています。
| 期間 | 控除できる割合 | 消費税100万円相当の仕入れで差し引ける額 |
| 2023年10月1日〜2026年9月30日 | 80% | 80万円 |
| 2026年10月1日〜2028年9月30日 | 70% | 70万円 |
| 2028年10月1日〜2030年9月30日 | 50% | 50万円 |
| 2030年10月1日〜2031年9月30日 | 30% | 30万円 |
| 2031年10月1日以降 | 0%(控除不可) | 0円 |
[画像指示:免税事業者からの仕入れで控除できる割合が80%→70%→50%→30%→0%と階段状に下がっていく棒グラフ / キャプション:控除割合は段階的に縮小し、最終的にはゼロになります]
変更点②:「2割特例」の適用期間が終了
2割特例とは、免税事業者からインボイス登録をして課税事業者になった小規模事業者が、「売上で預かった消費税の2割」だけを納めればよいとする特例のことです。面倒な仕入れの集計が不要で、多くの個人事業主・小規模法人が利用しています。
この2割特例は「2023年10月1日から2026年9月30日までの日を含む課税期間」が対象です。個人事業主なら2026年分(2026年1月〜12月)が最後、3月決算法人なら2027年3月期が最後となります。
■ 個人事業主には「3割特例」という激変緩和
令和8年度税制改正により、2割特例の対象だった個人事業主については、2027年分・2028年分の2年間、売上の消費税の3割を納める「3割特例」が設けられました。法人はこの対象外のため、2割特例終了後は原則課税か簡易課税を選ぶ必要があります。
| 立場 | 2026年分・期まで | その後 |
| 個人事業主 | 2割特例 | 2027年・2028年分は3割特例 → その後は原則課税か簡易課税 |
| 法人(3月決算の例) | 2027年3月期まで2割特例 | 2028年3月期から原則課税か簡易課税 |
| 税理士の実務視点 現場で一番多い誤解は「経過措置は9月で全部終わる」「来年から急に税金が5倍になる」という極端な受け止め方です。実際は段階的な縮小ですが、裏を返せば「数年かけて確実に負担が増えていく」ということ。今のうちに取引構造そのものを見直す経営判断が、5年後の利益を左右します。 |
買い手(仕入れる側)の会社が受ける影響と対策
結論として、外注費・仕入れの中に免税事業者との取引が多い会社ほど、10月以降に実質的なコストが上がります。特に一人親方への外注が多い建設業、フリーランスへの委託が多いIT・デザイン業、個人の配送業者を使う運送業は影響が大きくなります。
影響が出る仕組み
控除できない消費税は、会社が自腹で負担することになります。控除割合が80%から70%に下がると、免税事業者に支払った消費税相当額の10%分が新たに会社の負担になります。
取るべき3つの対策
- 取引先の登録状況を再確認する:国税庁の公表サイトで登録番号を確認し、免税事業者との取引額を一覧化します。
- 価格・契約条件を話し合う:増えた負担分について、取引先と誠実に協議します。
- 帳簿の記載を切り替える:経過措置を使うには、帳簿に「70%控除対象」などの記載が必要です。会計ソフトの税区分の設定変更を忘れないようにしましょう。
■ 実務上の罠:一方的な値下げ要求は法律違反になり得る
「免税事業者だから消費税分を払わない」と一方的に取引価格を引き下げると、独占禁止法や、2026年1月に下請法から改正・施行された中小受託取引適正化法(取適法)に抵触するおそれがあります。価格の見直しは、必ず相手方との十分な協議を経て、書面で合意することが鉄則です。
また、同じ免税事業者からの仕入れが年間で多額になる場合には、経過措置の適用に上限が設けられている点にも注意が必要です。大口の外注先がある会社は、事前に個別の確認をおすすめします。
売り手(2割特例を使っている事業者)が受ける影響と対策
結論として、2割特例の終了後は「簡易課税」と「原則課税」のどちらが有利かを試算し、期限内に届出を出すことが最重要です。何もしなければ自動的に原則課税となり、毎年の仕入れ集計の手間と納税額が一気に増える可能性があります。
簡易課税と原則課税とは
簡易課税とは、実際の仕入れの額ではなく、業種ごとに決められた「みなし仕入率」を使って納税額を計算する方法のことです(基準期間の売上が5,000万円以下の事業者が選択可能)。原則課税とは、実際に支払った仕入れや経費の消費税を一つひとつ集計して差し引く、本来の計算方法のことです。
| 比較項目 | 簡易課税 | 原則課税 |
| 計算の手間 | 少ない(売上だけでほぼ計算可能) | 多い(全仕入れのインボイス管理が必要) |
| 有利になりやすい人 | 経費が少ないサービス業・士業など | 設備投資や仕入れが多い業種 |
| 還付の可能性 | なし | あり(大型投資の年など) |
| 縛り | 原則2年間継続が必要 | なし |
| 届出 | 「簡易課税制度選択届出書」が必要 | 届出不要 |
■ 実務上の罠:届出の期限
簡易課税を選ぶための届出書は、原則として「適用を受けたい課税期間が始まる前日まで」に提出が必要です。ただし、2割特例を使った事業者には救済措置があり、2割特例を適用した課税期間の翌課税期間中に提出すれば、その課税期間から簡易課税を使えます。この特例を知らずに「期限切れ」とあきらめてしまうケースが実務では目立ちます。
[画像指示:2割特例終了後の選択肢を「簡易課税」「原則課税」「(個人のみ)3割特例」の3方向に分岐させた判断フロー図 / キャプション:2割特例のあとは、どの計算方法を選ぶかで納税額が大きく変わります]
10月までに終わらせたい!インボイス見直しの5ステップ
結論として、次の5ステップを順番に進めれば、買い手・売り手のどちらの立場でも漏れなく対応できます。
| STEP 1 | 取引先リストの作成 外注先・仕入先ごとに年間取引額と登録番号の有無を一覧化し、免税事業者との取引額を把握します。 |
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| STEP 2 | 影響額の試算 免税事業者への支払額×10/110×(80%−70%)で、10月以降に増える年間負担をざっくり計算します。 |
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| STEP 3 | 取引先との協議 負担増が大きい先とは、登録の検討や価格見直しを誠実に話し合い、合意内容を書面に残します。 |
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| STEP 4 | 会計ソフト・帳簿の設定変更 10月1日以降の取引から「70%控除」の税区分に切り替え、帳簿の記載要件を満たします。 |
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| STEP 5 | 自社の計算方法の選択 2割特例を使っている場合は、終了後の簡易課税・原則課税(個人は3割特例)を試算し、届出期限をカレンダーに登録します。 |
具体的なシミュレーション:いくら負担が変わるのか
結論として、免税事業者への外注費が年1,100万円の会社では、年間10万円の負担増が10月から始まり、最終的には年100万円の負担になります。売り手側では、2割特例終了後の計算方法の選び方ひとつで、年間の納税額に20万円以上の差が出ることもあります。
ケース①:買い手側(一人親方への外注が多い工務店)
前提:免税事業者である一人親方への外注費が年間1,100万円(消費税相当額100万円)。
| 期間 | 控除割合 | 差し引ける消費税 | 会社の自己負担 | 80%期間との差 |
| 〜2026年9月 | 80% | 80万円 | 20万円 | — |
| 2026年10月〜 | 70% | 70万円 | 30万円 | +10万円 |
| 2028年10月〜 | 50% | 50万円 | 50万円 | +30万円 |
| 2030年10月〜 | 30% | 30万円 | 70万円 | +50万円 |
| 2031年10月〜 | 0% | 0円 | 100万円 | +80万円 |
※年間ベースの概算です。控除できない消費税は経費(損金)となるため、法人税等を含めた実際の手取りへの影響は上記よりやや小さくなります。
ケース②:売り手側(デザイン業の個人事業主)
前提:年間売上(税抜)800万円(預かった消費税80万円)、経費の課税仕入れ(税込)330万円(支払った消費税30万円)。デザイン業は簡易課税の第5種(みなし仕入率50%)。
| 計算方法 | 計算式 | 年間の納税額 |
| 2割特例(2026年分まで) | 80万円×20% | 16万円 |
| 3割特例(2027・2028年分) | 80万円×30% | 24万円 |
| 簡易課税(第5種) | 80万円−80万円×50% | 40万円 |
| 原則課税 | 80万円−30万円 | 50万円 |
※消費税額は国税・地方消費税の合計(10%)で簡略化した概算です。
| 税理士の実務視点 このケースでは、3割特例が終わる2029年分以降は「簡易課税」を選ぶほうが原則課税より年10万円有利です。ただし、パソコンや車両など大きな投資を予定している年は原則課税で還付を受けられる可能性もあります。「どの年に何を買うか」という事業計画とセットで判断するのが、税理士の立場から見た正解です。 |
よくある質問(FAQ)
Q. 10月以降は、免税事業者の取引先と取引をやめるべきですか?
A. いいえ、取引をやめる必要はありません。控除できない消費税の負担が増えるだけで、取引そのものは違法ではありません。技術力や信頼関係などを総合的に考え、負担増を価格協議や登録の検討で調整するのが現実的な対応です。
Q. 経過措置の70%控除を受けるのに、特別な手続きは必要ですか?
A. 届出は不要ですが、帳簿に「70%控除対象」など経過措置の適用を受ける旨の記載と、区分記載請求書等の保存が必要です。会計ソフトの税区分を10月1日以降の取引から切り替えれば、多くの場合は対応できます。
Q. 法人でも3割特例は使えますか?
A. 使えません。3割特例は2割特例の対象だった個人事業主に限った激変緩和措置です。法人は2割特例終了後、原則課税か簡易課税のどちらかで計算します。
Q. 1万円未満の経費もインボイスが必要ですか?
A. 基準期間の売上が1億円以下などの中小事業者は、1万円未満(税込)の仕入れについてインボイスがなくても帳簿の保存だけで控除できる「少額特例」があります。この特例は2029年9月30日までの期間限定です。
Q. 簡易課税の届出を出し忘れた場合はどうなりますか?
A. 原則課税で計算することになり、全仕入れのインボイス管理が必要になります。ただし、2割特例を適用した課税期間の翌課税期間中であれば、その期中に届出を出すことで簡易課税を適用できる特例があります。早めに専門家へご相談ください。
まとめ:10月は「取引の見直し」と「計算方法の選択」のラストチャンス
- 免税事業者からの仕入れの控除割合は、2026年10月から80%→70%へ縮小し、最終的にはゼロになります。
- 2割特例は2026年9月30日を含む課税期間で終了。個人事業主は3割特例がありますが、法人は原則課税か簡易課税を選ぶ必要があります。
- 取引先の確認・価格協議・帳簿設定・計算方法の選択を、期限を意識して計画的に進めることが損をしない唯一の方法です。
| ご相談はお気軽に 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 当事務所では、国税OBを含む税理士が消費税の計算方法の有利判定や届出スケジュールの管理を行い、社会保険労務士と連携して外注先・従業員との契約の見直しまで一体的にサポートします。取引先一覧をお持ちいただければ、10月以降の影響額を具体的な数字でお示しします。オンラインでのご相談にも対応しています。 |
【第5回】うちの会社はいくらで売れる?
中小企業M&Aの企業価値評価のしくみと「高く・納得して」譲るための成功のポイント
「会社を譲るなら、せめて長年の苦労に見合う値段がついてほしい」「でも、そもそも自分の会社にいくらの値打ちがあるのか見当もつかない」――M&Aを考え始めた経営者の方から、最も多くいただくご相談がこの「値段」の話です。
この記事では、中小企業M&Aシリーズの総まとめとして、会社の値段(企業価値)がどう決まるのかを、「年買法」「純資産法」「DCF法」などの代表的な考え方から、中学生でも分かる言葉でやさしく解説します。さらに、同じ会社でも準備次第で売却価格と手取りが1,000万円単位で変わることを、具体的な数字のシミュレーションでお見せします。
先に結論をお伝えします。中小企業の会社の値段は、「今ある財産の本当の価値(時価純資産)」+「これから稼ぐ力(営業権)」で決まるのが基本です。そして値段を上げる一番の近道は、売る2〜3年前から「数字をきれいにし、隠れたリスクをつぶし、社長がいなくても回る会社にする」こと、つまり「磨き上げ」です。
| 【結論】 ・中小企業M&Aの価格は、実務では「時価純資産+営業利益の数年分」(年買法)を目安に交渉がスタートすることが多い ・評価額は決算書の数字そのままではなく、役員報酬や私的な経費を調整した「本当の稼ぐ力」で見られる ・未払残業代や税務リスクなどの「隠れた借金」は、見つかると容赦なく値引きされる ・売る2〜3年前からの「磨き上げ」で、評価額も手取りも大きく変わる |
| [画像指示:会社の値段=「時価純資産」+「営業権(稼ぐ力)」の積み木で表した図解イラスト / キャプション:中小企業の会社の値段は「今ある財産」と「これから稼ぐ力」の合計で考えるのが基本です] |
会社の値段(企業価値)とは?まず押さえたい基本
結論から言うと、M&Aでの会社の値段は「法律で決まった計算式」ではなく、売り手と買い手が納得して決める「交渉の結果」です。ただし、交渉のスタート地点となる「目安の計算方法」はいくつか決まっています。
「企業価値」と「株式価値」の違い
企業価値とは、会社の事業全体が生み出す価値のことです。一方、株式価値とは、企業価値から借入金などの借金を差し引き、手元の現預金を足した「株主の取り分」のことです。
身近な例でたとえると、ローンが残っている家を売る場面と同じです。家そのものの値段が3,000万円でも、ローンが1,000万円残っていれば、売った人の手元に残る価値は2,000万円です。株式譲渡で社長が受け取る金額は、この「ローンを差し引いた後」の株式価値のほうになります。
会社の値段を決める3つの目線
会社の値段を測る方法は、大きく分けて次の3つの目線があります。
- 財産の目線(コストアプローチ):会社が今持っている財産から借金を引いた「正味の財産」で考える
- 稼ぐ力の目線(インカムアプローチ):会社がこれから生み出すお金で考える
- 相場の目線(マーケットアプローチ):似た会社がいくらで売買されているかで考える
リンゴ農園にたとえると、「畑や倉庫がいくらになるか」が財産の目線、「毎年リンゴでいくら稼げるか」が稼ぐ力の目線、「近所の同じ規模の農園がいくらで売れたか」が相場の目線です。
中小企業M&Aで使われる代表的な評価方法
結論として、中小企業のM&Aでは「年買法(ねんばいほう)」が最もよく使われ、規模が大きくなるほどDCF法やマルチプル法も併用されるのが実務の姿です。
① 年買法(時価純資産+営業権)
年買法とは、「時価純資産」に「営業利益の数年分(営業権)」を足して会社の値段を出す方法のことです。計算がシンプルで、売り手の社長にも分かりやすいため、中小企業のM&Aで広く使われています。
| 会社の値段(目安)= 時価純資産 + 実質営業利益 × 2〜5年分 |
「何年分」を掛けるかは法律で決まっているわけではなく、業種の成長性、利益の安定性、社長への依存度などを見て交渉で決まります。安定して利益が出ていて、社長がいなくても回る会社ほど年数は長く(高く)なります。
時価純資産とは
時価純資産とは、決算書の帳簿上の財産を「今売ったらいくらになるか」という時価に置き直し、借金を差し引いた正味の財産のことです。たとえば、何十年も前に買った土地は帳簿より時価が高いことが多く、逆に回収できない売掛金や売れ残った在庫は帳簿より価値が低くなります。
営業権(のれん)とは
営業権(のれん)とは、取引先との信頼関係、従業員のノウハウ、ブランドなど、決算書には載らない「稼ぐ力」を金額にしたもののことです。地元で長年愛されているお店が「看板」だけで価値を持つのと同じ考え方です。
② 時価純資産法
時価純資産法とは、時価純資産そのものを会社の値段とする方法のことです。赤字の会社や、利益より不動産などの財産に価値がある会社で使われます。営業権を見ないため、年買法より低めの金額になるのが一般的です。
③ DCF法
DCF法とは、会社が将来生み出すお金(キャッシュフロー)を予測し、それを現在の価値に割り戻して会社の値段を出す方法のことです。理論的には最も優れた方法ですが、将来の事業計画の精度に結果が大きく左右されるため、事業計画を作り込んでいない中小企業では参考程度にとどまることが多いのが実情です。
④ マルチプル法(類似会社比較法)
マルチプル法とは、似た業種・規模の上場企業や過去のM&A事例の「利益の何倍で売れたか」という倍率を使って会社の値段を出す方法のことです。よく使われる指標がEBITDA(イービットダー)で、これは「営業利益+減価償却費」でざっくり表される「本業で生み出すお金の力」のことです。
評価方法の比較表
| 評価方法 | 考え方 | 向いている会社 | 注意点 |
| 年買法 | 時価純資産+営業利益の数年分 | 利益が安定した中小企業全般 | 年数の根拠は交渉次第 |
| 時価純資産法 | 正味の財産のみで評価 | 赤字企業・資産の多い会社 | 稼ぐ力が価格に反映されにくい |
| DCF法 | 将来のお金を現在価値に換算 | 成長企業・中堅規模以上 | 事業計画の精度に大きく依存 |
| マルチプル法 | 類似企業の倍率を当てはめる | 同業の取引事例が多い業種 | 比べる会社選びで結果がぶれる |
| 💡 税理士の実務視点 実務では、1つの方法だけで値段を決めることはまずありません。複数の方法で「このくらいの幅」という価格帯を出し、その幅の中で交渉するのが通常です。 売り手の社長が最初に知っておくべきなのは「一番高い数字」ではなく、「買い手がどの方法で、どこを減点してくるか」です。減点ポイントを先回りしてつぶしておけば、交渉で主導権を握れます。 |
決算書の利益がそのまま使われない理由――「正常収益力」の考え方
結論から言うと、買い手は決算書の利益ではなく、社長個人の事情を取り除いた「本当の稼ぐ力(正常収益力)」で会社を評価します。 正常収益力とは、オーナー社長ならではの特殊な支出や一時的な損益を取り除いた、会社本来の利益のことです。
中小企業では、節税の観点から社長の役員報酬を高めに設定していたり、会社名義で社長の私的な支出をしていたりすることが少なくありません。こうした支出は買い手が引き継いだ後にはなくなるため、利益に「足し戻し」して評価します。
| 調整項目 | 調整の方向 | 具体例 |
| 社長の役員報酬(相場超過分) | 利益にプラス | 後任の社長なら年800万円で済むところ、現社長は年1,000万円 |
| 私的な経費 | 利益にプラス | 社長個人の車両費・交際費・家族の保険料など |
| 一時的な損益 | プラスまたはマイナス | 災害損失、固定資産の売却益、単発の大型受注 |
| 本来かかるべき費用の未計上 | 利益にマイナス | 未払残業代、修繕の先送り、身内の無給労働 |
ここで注意したいのは、足し戻しは「プラス」だけではないという点です。家族が無給で手伝っていたり、必要な設備投資を先送りしていたりすると、買い手は「本来ならかかる費用」として利益から差し引きます。
値下げの原因になる「隠れた借金(簿外債務)」と実務上の罠
結論として、M&Aで最も怖いのは、買収監査(デューデリジェンス)で「隠れた借金」が見つかり、大幅な値下げや交渉打ち切りになることです。簿外債務とは、決算書には載っていないものの、将来会社が支払わなければならない可能性のある債務のことです。
罠① 未払残業代などの労務リスク
残業代の未払いがあると、従業員は過去にさかのぼって請求できます。賃金請求権の時効は現在「当分の間3年」とされており、従業員数が多い会社ほど金額は膨らみます。買い手はこれを推計し、そのまま価格から差し引いてきます。
罠② 税務調査で否認されそうな処理
過去の申告に問題がある場合、M&A後に税務調査で追徴課税を受けるのは買い手が引き継いだ会社です。そのため買い手は税務のリスクを厳しく確認し、リスク相当額の値下げや、「表明保証」と呼ばれる契約条項で売り手に責任を負わせようとします。表明保証とは、売り手が「決算書や契約内容に誤りや隠し事はありません」と約束し、違反があれば補償する契約上の取り決めのことです。
罠③ 社長への依存と取引先の集中
「社長がいないと仕事が回らない」「売上の半分以上が1社に集中している」といった会社は、買った後に売上が落ちるリスクが高いと見なされ、年買法の「年数」が短くされます。
罠④ 相続税評価額と混同してしまう
事業承継の対策で耳にする「相続税評価額(類似業種比準方式・純資産価額方式などで計算する株価)」は、相続や贈与の税金を計算するための評価で、M&Aの売買価格とは別物です。「顧問税理士から株価は1億円と言われた」という数字をそのまま希望価格にしてしまうと、交渉がかみ合わなくなることがあります。
| 💡 税理士の実務視点 税務調査の現場を数多く見てきた立場から言うと、買収監査で指摘される税務リスクの多くは「普段の処理のクセ」です。役員への貸付金の放置、根拠のない外注費、期ズレの売上などは、平時から整えておけば怖くありません。 また、未払残業代や就業規則の不備は、税理士だけでは見落としがちな領域です。財務と労務の両面から事前に「自主監査」をしておくことが、値下げを防ぐ最大の防御策になります。 |
| [画像指示:買収監査(デューデリジェンス)で見つかった隠れた借金が、会社の値段から差し引かれていく様子を表す図解イラスト / キャプション:簿外債務は発見されると、そのまま売却価格から差し引かれてしまいます] |
会社の値段を上げる「磨き上げ」5ステップ
結論として、会社の値段を上げるには、売却の2〜3年前から計画的に「磨き上げ」を進めることが最も効果的です。磨き上げとは、会社の数字・リスク・仕組みを整えて、買い手から見た魅力を高める準備作業のことです。
| STEP1 自社の「今の値段」を知る 年買法などで概算の評価額を出し、どこが減点されそうかを洗い出します。 |
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| STEP2 数字をきれいにする 私的な経費や不要な資産を整理し、毎月の試算表を正確に作れる体制を整えます。決算書の信頼性そのものが価格に影響します。 |
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| STEP3 隠れたリスクをつぶす 未払残業代、就業規則、契約書、過去の税務処理などを点検し、問題を解消しておきます。 |
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| STEP4 社長がいなくても回る会社にする 幹部への権限委譲、業務マニュアル化、取引先との関係を複数の社員で担う体制づくりを進めます。 |
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| STEP5 売り方と手取りを設計する 株式譲渡か事業譲渡か、退職金をどう組み合わせるかなど、税金を含めた「最終的な手取り」で方針を決めます。 |
ステップ5の手取り設計については、シリーズ第4回(税金編)で詳しく解説した役員退職金の活用がポイントになります。退職金を支払うと会社の財産が減る分だけ株式価値は下がりますが、退職金は税負担の軽い「退職所得」として受け取れるため、トータルの手取りが増えるケースが多いのです。
【シミュレーション】磨き上げ前と後で、手取りはいくら変わる?
結論として、今回のモデルケースでは、磨き上げをした場合としなかった場合で売却価格に1,200万円、税引き後の手取りに約956万円の差が生まれます。
モデルケースの前提
| 項目 | 内容 |
| 会社の概要 | 年商8,000万円のサービス業(シリーズ第1回・第2回と同じモデル会社) |
| 決算書上の営業利益 | 500万円 |
| 社長の役員報酬 | 年1,000万円(後任の相場は年800万円と想定) |
| 社長の私的な経費 | 年100万円 |
| 時価純資産 | 2,100万円(帳簿上の純資産に土地の含み益などを調整後) |
| 株式の取得費 | 300万円(創業時の出資額) |
| 売却方法 | 株式譲渡(個人の譲渡所得として税率20.315%) |
ステップ1:本当の稼ぐ力(実質営業利益)を計算する
| 項目 | 金額 |
| 決算書上の営業利益 | 500万円 |
| + 役員報酬の相場超過分(1,000万円-800万円) | +200万円 |
| + 私的な経費の足し戻し | +100万円 |
| = 実質営業利益 | 800万円 |
ステップ2:磨き上げ前と後の評価額・手取りを比較する
磨き上げをしなかった場合、買収監査で未払残業代などのリスク400万円が見つかって差し引かれ、社長への依存度が高いことから営業権は「2年分」と評価されたとします。一方、事前に磨き上げを行った場合は、リスクが解消され、営業権は「3年分」で評価されたとします。
| 項目 | 磨き上げなし | 磨き上げあり |
| 時価純資産 | 2,100万円 | 2,100万円 |
| 簿外債務(未払残業代など)の差し引き | -400万円 | 0円 |
| 営業権(実質営業利益800万円×年数) | 1,600万円(2年分) | 2,400万円(3年分) |
| 売却価格 | 3,300万円 | 4,500万円 |
| 譲渡益(売却価格-取得費300万円) | 3,000万円 | 4,200万円 |
| 税金(譲渡益×20.315%) | 約609万円 | 約853万円 |
| 税引き後の手取り | 約2,691万円 | 約3,647万円 |
同じ会社でも、準備の有無だけで手取りに約956万円の差がつきました。さらに第4回で解説した退職金の活用を組み合わせれば、手取りをもう一段増やせる可能性があります。
※本シミュレーションは考え方を示すための簡略化した試算です。仲介手数料、住民税・所得税の詳細な計算、含み益にかかる税金相当額の調整などは考慮していません。実際の評価額は業種・財務内容・交渉により大きく異なります。
| 💡 税理士の実務視点 この差を生んだのは、特別な節税テクニックではなく「当たり前の準備」です。社長が毎月の数字を正しく把握し、労務と税務のリスクを平時から整えている会社は、買い手から見て「安心して買える会社」になります。 M&Aの準備は、実は売らなかった場合にもそのまま会社の体質強化につながります。「いつでも売れる会社」は「誰が継いでも強い会社」です。 |
| [画像指示:磨き上げ前と後で売却価格と手取りが変わる様子を、2本の棒グラフで比較した図解イラスト / キャプション:同じ会社でも、事前の準備だけで手取りに約956万円の差がつくケースがあります] |
M&Aを成功させる秘訣――シリーズ総まとめ
結論として、中小企業のM&Aを成功させる秘訣は「早めに準備を始め、税金・労務・価格を一体で考え、信頼できる専門家と進めること」に尽きます。全5回のポイントを振り返ります。
| 回 | テーマ | 押さえるべきポイント |
| 第1回 | M&Aによる事業承継の基本 | 後継者不在でも廃業せず、会社と雇用を残す選択肢がある |
| 第2回 | スキームの選び方 | 株式譲渡・事業譲渡などで手続きも税金も大きく変わる |
| 第3回 | 進め方と仲介会社選び | 秘密保持を徹底し、報酬体系と立場を確認して専門家を選ぶ |
| 第4回 | 税金と手取りの最大化 | 退職金の活用など、税引き後の手取りで方針を決める |
| 第5回 | 企業価値評価と成功のポイント | 会社の値段は準備次第。2〜3年前からの磨き上げが鍵 |
そして何より大切なのは、「値段」だけで相手を選ばないことです。従業員の雇用、取引先との関係、会社の理念を大切にしてくれる相手に譲れるかどうかが、経営者として最後に後悔しないための一番のポイントです。
よくある質問(FAQ)
Q. 赤字の会社でも売ることはできますか?
A. はい、売ることはできます。赤字でも、優秀な従業員、許認可、取引先、技術やノウハウに価値を感じる買い手は存在します。評価は時価純資産法が中心となり、営業権はつきにくくなりますが、赤字の原因が社長の高額報酬など「調整可能なもの」であれば、実質的には黒字と評価されることもあります。
Q. 自分の会社の値段は、自分で計算できますか?
A. 年買法を使えば、おおよその目安は計算できます。「時価純資産+実質営業利益×2〜5年分」で幅を出してみてください。ただし、土地の時価、回収できない売掛金、簿外債務などの調整には専門知識が必要なため、正確な評価は税理士などの専門家に依頼するのが確実です。
Q. 相続税の計算で使う株価と、M&Aの売却価格は同じですか?
A. 同じではありません。相続税評価額は税金を計算するためのルールに沿った評価で、M&Aの売却価格は売り手と買い手の交渉で決まる価格です。一般的には、利益が出ている会社ほどM&Aの価格のほうが高くなる傾向がありますが、両者を混同しないことが大切です。
Q. 仲介会社の「査定額」どおりに売れるものですか?
A. 査定額はあくまで交渉のスタート地点です。買収監査の結果によって値下げされることもあれば、複数の買い手が競合して上がることもあります。査定額の高さだけで仲介会社を選ぶのではなく、その根拠と、減点されそうなポイントを具体的に説明してくれるかどうかを確認しましょう。
Q. 磨き上げは、いつから始めればよいですか?
A. 売却の2〜3年前から始めるのが理想です。買い手は通常、直近3期分程度の決算書を確認するため、数字の改善が決算書に表れるまでには時間がかかります。「まだ先の話」と思っている段階から始めるのが、結果的に最も高く、有利に譲る近道です。
まとめ:会社の値段は「準備」で決まる。まずは今の価値を知ることから
- 中小企業の会社の値段は「時価純資産+実質営業利益の数年分」(年買法)が交渉の目安になる
- 決算書の利益ではなく、役員報酬や私的経費を調整した「本当の稼ぐ力」で評価される
- 未払残業代や税務リスクなどの隠れた借金を事前につぶす「磨き上げ」で、手取りは大きく変わる
| 会社の価値診断・M&A準備のご相談はお気軽に 税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。 当事務所では、税理士と社会保険労務士が連携し、会社の概算評価額の算定から、税務・労務の自主点検、退職金を含めた手取りの最適化まで、経営者の立場に立って一貫してサポートいたします。「売るかどうかはまだ決めていない」という段階でも大歓迎です。まずは、あなたの会社の「今の価値」を一緒に確認するところから始めませんか。 |
