「106万円の壁」撤廃で会社の負担はいくら増える?

社会保険の適用拡大を損せず乗り切る経営者の5つの準備

「パートさんから『来年から社会保険に入らないといけないんですか?』と聞かれたけれど、正直よく分からない」「うちは従業員50人もいないから関係ないと思っていた」――最近、こうしたご相談が一気に増えています。

先日の記事では、年末調整で話題の「103万円の壁(税金の壁)」の改正を取り上げました。今回はその“もう一つの壁”である「106万円の壁(社会保険の壁)」がテーマです。税金の壁が「手取りが少し減る壁」だとすると、社会保険の壁は「会社と従業員の両方に毎月の負担が生まれる壁」です。インパクトはこちらの方がはるかに大きくなります。

この記事を読めば、①何がいつ変わるのか、②自社は対象になるのか、③会社の負担はいくら増えるのか、④今から何を準備すればよいのか、がすべて分かります。まずは結論からお伝えします。

結論:この記事のポイント ① 「106万円の壁」(月8.8万円の賃金要件)は、2025年成立の改正法により撤廃が決まっています。今後は「週20時間以上働くかどうか」が加入の分かれ目になります。 ② 「従業員51人以上の会社だけ」という条件も段階的になくなります。2027年10月に36人以上、2029年10月に21人以上へと対象が広がり、最終的には人数に関係なく適用されます。 ③ 会社の負担は、新たに加入するパート1人あたり年間約18万円が目安です。ただし保険料は全額が会社の経費(損金)になり、国の支援策や賃上げ税制を組み合わせれば実質負担は大きく下げられます。 ④ 税理士の実務視点から見た結論:「加入させない(時間を減らす)」より「加入を前提に人件費と手取りを設計し直す」方が、人手不足の時代には会社にとって得です。準備は対象になる1年前から始めてください。

1. 社会保険の適用拡大とは?まず「106万円の壁」の正体を知ろう

結論から言うと、社会保険の適用拡大とは、これまで社会保険に入らなくてよかったパート・アルバイトの人も、会社の健康保険と厚生年金に入る仕組みに変えていくことです。

1-1. 「106万円の壁」とは何か

「106万円の壁」とは、パート・アルバイトの月給が8.8万円(年収に直すと約106万円)以上になると、勤務先の社会保険に加入しなければならなくなる境目のことです。

身近な例えで言うと、お小遣い帳に「毎月8,800円以上もらったら、そのうち1割5分を貯金箱(将来の年金や医療の備え)に入れなさい。貯金箱には家の人も同じ額を入れてくれる」というルールがあるイメージです。貯金が増えるのは良いことですが、使えるお小遣いは目の前で減るため、「8,800円を超えないようにお手伝いを減らそう」と考える子が出てきます。これが、いわゆる「働き控え」です。

1-2. 現在の加入条件(5つの要件)

現在、パート・アルバイトの人(短時間労働者)が勤務先の社会保険に入る条件は、次の5つをすべて満たす場合です。

要件現在の基準改正後の方向性
① 労働時間週の所定労働時間が20時間以上変更なし(ここが唯一の分かれ目に)
② 賃金月額賃金8.8万円以上(=106万円の壁)撤廃(公布から3年以内に施行)
③ 雇用期間2か月を超えて使用される見込み変更なし
④ 学生学生でないこと(夜間・通信制等は除く)変更なし
⑤ 企業規模従業員(厚生年金の被保険者)51人以上段階的に縮小し、最終的に撤廃

[画像指示:パート従業員が社会保険に加入するかどうかを判定する5つの要件を、チェックリスト形式で示した図解イラスト / キャプション:現在は5つすべてを満たすと加入。改正後は「賃金」と「企業規模」の2つが外れ、実質的に「週20時間」が基準になる]

2. 何がいつ変わる?改正スケジュールを整理

結論として、改正は「賃金の壁の撤廃」と「会社の規模の条件の撤廃」の2本立てで、数年から10年かけて段階的に進みます。自社がいつ対象になるかを、まず確認してください。

2-1. 賃金要件(106万円の壁)の撤廃

月8.8万円という賃金要件は、2025年6月に成立した年金制度改正法により撤廃が決まりました。施行時期は「公布から3年以内で、政令で定める日」とされ、最低賃金の引き上げ状況を見ながら決められます。最低賃金が上がり続けると、週20時間働くだけで自然に月8.8万円を超えるようになるため、「壁」そのものが意味を持たなくなるからです。

2-2. 企業規模要件の段階的縮小

より多くの中小企業に直接関係するのがこちらです。「従業員51人以上の会社だけ」という条件が、次のスケジュールで広がっていきます。

施行時期対象となる会社の規模(厚生年金の被保険者数)地方の中小企業への影響
現在51人以上一部の中堅企業のみ
2027年10月36人以上従業員40人前後の会社が対象に
2029年10月21人以上多くの製造業・小売・介護・飲食が対象に
2032年10月11人以上小規模な会社もほぼ対象に
2035年10月人数要件なし(撤廃)パートを1人でも雇う法人はすべて対象

[画像指示:企業規模要件が51人→36人→21人→11人→撤廃と段階的に広がっていくタイムライン図 / キャプション:自社の「厚生年金の被保険者数」をこの年表に当てはめると、対象になる時期が分かる]

2-3. 個人事業主(個人の事業所)はどうなる?

個人事業主の事業所は、現在「常時5人以上で、法律で定められた業種」の場合に社会保険の対象です。改正により、2029年10月以降は業種の限定がなくなりますが、対象となるのはその時点以降に新しく開業する事業所で、既存の事業所は当分の間は対象外とされています。これから起業する方は、この点を開業計画に織り込んでおく必要があります。

2-4. 「130万円の壁」(扶養の壁)はどうなる?

「130万円の壁」とは、会社員の配偶者や家族が、年収130万円以上になると家族の扶養から外れ、自分で国民年金・国民健康保険に加入しなければならなくなる境目のことです。

こちらは撤廃されていませんが、運用が2点変わっています。第一に、2025年10月からは19歳以上23歳未満の人(配偶者を除く)については基準が150万円に引き上げられました。第二に、2026年4月からは、扶養に入れるかどうかの年収判定を、原則として労働契約(雇用契約書や労働条件通知書)に書かれた賃金で行う運用になりました。つまり、契約書の内容がこれまで以上に重要になっています。

税理士の実務視点:「壁」は3種類あると覚える 経営者の方には、①税金の壁(所得税がかかる境目。令和7年度改正で実質160万円に)、②社会保険の壁(週20時間・会社規模。今回のテーマ)、③扶養の壁(130万円)の3種類を区別して従業員に説明していただくことをお勧めします。 現場で最も多い誤解は「103万円を超えたら社会保険に入る」というものです。税金と社会保険は別の制度です。この区別を説明できるだけで、従業員の不安と働き控えは大きく減ります。

3. 会社と従業員、それぞれのメリット・デメリット

結論として、適用拡大は会社にとっては「コスト増」ですが「人材確保の武器」にもなり、従業員にとっては「今の手取り減」と引き換えに「将来と万一への備え」が手厚くなる制度です。

3-1. 会社にとってのメリット・デメリット

■ メリット

  • 人材の確保・定着に有利になる。「社会保険完備」は求人で強いアピール材料です。
  • 働き控えが減り、繁忙期のシフトが組みやすくなる。年末の「時間調整による人手不足」が起きにくくなります。
  • 保険料の会社負担分は全額が経費(法定福利費)になる。利益が出ている会社では法人税等の負担が下がります。

■ デメリット

  • 保険料の会社負担(給与のおよそ15%)が毎月発生する。
  • 加入手続き・給与計算・労務管理の事務負担が増える。
  • 時間を減らしたい従業員が出た場合、人員の補充が必要になる。

3-2. 従業員にとっての変化

項目加入前(国民年金・国保 または 扶養)加入後(会社の社会保険)
毎月の手取り減らない(扶養の場合)給与のおよそ14〜15%が天引きされ減る
将来の年金基礎年金のみ基礎年金+厚生年金(一生涯上乗せ)
病気・けがで休んだとき国保には原則として給付なし傷病手当金(給与の約3分の2)
出産で休んだとき国保には原則として給付なし出産手当金(給与の約3分の2)
障害・死亡への備え障害基礎年金・遺族基礎年金のみ障害厚生年金・遺族厚生年金が上乗せ

ポイントは、従業員が「手取りが減る」ことだけを見て判断しがちな点です。会社が「将来と万一の保障がこれだけ増える」と数字で示すことで、加入を前向きに受け止める人は確実に増えます。

4. 実務上の注意点・落とし穴

結論として、適用拡大で失敗する会社の多くは、「人数の数え方」「働き控えの連鎖」「税金との関係」「支援策の申請漏れ」の4点でつまずいています。

4-1. 「従業員数」は社会保険の加入者数で数える

企業規模の「36人以上」「21人以上」は、パートを含めた全従業員の数ではなく、厚生年金に加入している人(被保険者)の数で判定します。また、直近12か月のうち6か月以上その人数を上回った時点で対象になり、いったん対象になると、その後人数が減っても原則として対象のままです。「一時的に人数を減らせば大丈夫」という考え方は通用しません。

4-2. 「時間を減らす」が連鎖すると現場が回らなくなる

加入を避けるために全員を週19時間に抑えると、1人あたりの労働時間が約5%減り、10人なら0.5人分の人手が消えます。さらに、雇用保険も2028年10月から「週10時間以上」に対象が広がるため、時間調整による“回避”の余地は今後どんどん小さくなります。時間調整は一時しのぎであり、根本的な解決策にはなりません。

4-3. 社会保険料の増加は「賃上げ税制」の対象にならない

中小企業には、給与を前年より増やすと法人税が安くなる「賃上げ促進税制」があります。しかし、この税制の計算に使う「給与等の支給額」には、会社が負担する社会保険料(法定福利費)は含まれません。「社会保険料が増えた分で賃上げ税制が使える」という誤解は非常に多いので注意してください。一方で、加入に合わせて時給を引き上げた分は「給与」として計算対象になります。

4-4. 国の支援策は「事前準備」がないと使えない

注意:支援策は申請のタイミングを逃すと受けられません 改正法では、新たに加入対象となる短時間労働者(標準報酬月額が一定額以下の人)について、会社が従業員本人の保険料負担を軽くした場合、その追加負担分を国が支援する特例(3年間)が設けられています。 また、社会保険の加入に合わせて手取り減を補う賃上げ等を行った会社を対象とする助成金(キャリアアップ助成金の関連コース)もあります。 いずれも計画書の事前提出や、就業規則・雇用契約書の整備が前提となることが多く、「加入させてから申請しよう」では間に合わないケースがあります。対象になる時期が見えた段階で、要件を確認してください。

5. 今から打つべき5つの準備ステップ

結論として、準備は「対象時期の確認」から始め、「従業員への説明」で終える5ステップで進めるのが最も確実です。対象となる1年前には着手してください。

STEP 1自社がいつ対象になるかを確認する 直近1年間の厚生年金の被保険者数を月ごとに一覧にし、2-2の年表に当てはめます。

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STEP 2対象になるパート・アルバイトを洗い出す 週20時間以上の人、20時間前後の人を名簿化し、本人の扶養状況(配偶者の扶養か、学生か等)も把握します。

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STEP 3会社負担額と手取り変化を試算する 1人あたりの会社負担、本人の手取り減、将来の年金増を数字にします(6章のシミュレーション参照)。

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STEP 4対応方針と人件費計画を決める 「そのまま加入」「時給を上げて加入」「時間を調整」を人ごとに検討し、支援策・賃上げ税制も含めた資金計画を立てます。

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STEP 5従業員に個別説明し、契約書を整える 手取りと保障の変化を一人ひとりに書面で説明し、雇用契約書・労働条件通知書を新しい条件に合わせて更新します。

6. シミュレーション:従業員40人の食品製造業(パート10人)のケース

結論として、このケースでは会社負担は年間約176万円増えますが、経費になる効果で実質負担は約118万円になります。さらに「時給を上げて手取りを守る」選択をしても、賃上げ税制を組み合わせることで負担を一部取り戻せます。

6-1. 前提条件

項目内容
会社地方の食品製造業(法人)。厚生年金の被保険者は正社員など40人
対象時期2027年10月(36人以上の段階)で適用対象に
パート10人。時給1,100円×週20時間=月約9.5万円(年約114万円)。全員40歳未満
保険料率(概算)会社負担:給与の約15.0%/本人負担:給与の約14.5%(厚生年金・健康保険・子ども子育て関係を含む概算)
標準報酬月額98,000円(保険料計算の基準となる月額)
法人の実効税率約33%(黒字法人と仮定)

6-2. 会社の負担はいくら増える?

項目1人あたり(月)1人あたり(年)パート10人(年)
会社負担の社会保険料約14,700円約176,400円約176万円
経費になることによる税負担の軽減(×33%)—約▲58,200円約▲58万円
実質的な会社負担—約118,200円約118万円

6-3. パート本人の手取りと選択肢の比較

選択肢月の給与社会保険料(本人)月の手取り(概算)会社の追加負担(10人・年)
加入前(現状)95,300円0円95,300円—
A:週19時間に減らして加入回避90,500円0円90,500円0円(ただし人手0.5人分減)
B:そのまま加入95,300円約14,200円約81,100円約176万円
C:時給1,290円に上げて加入約111,500円約16,000円約95,500円約392万円

※所得税・住民税、雇用保険料(加入前から天引き)は比較を分かりやすくするため除いています。Cの標準報酬月額は110,000円で計算しています。

6-4. 将来の年金と賃上げ税制を加えると

Bのように加入した場合、パート本人の手取りは月約1.4万円減ります。一方で、厚生年金は加入1年ごとに年約6,400円ずつ、一生涯上乗せされます(98,000円×5.481/1000×12か月)。10年加入すれば、65歳以降の年金が年約6.4万円増える計算です。これに加えて、傷病手当金や出産手当金という「万一の給与保障」も得られます。

Cのように時給を上げた場合、パート10人の給与は年約194万円増えます。会社全体の給与総額を1億2,000万円とすると、増加率は約1.6%です。中小企業向けの賃上げ促進税制(前年比1.5%以上の増加で増加額の15%を税額控除)を使えれば、約29万円の法人税が減ります(法人税額の20%が上限)。社会保険料そのものは対象外ですが、時給アップ分は対象になるという4-3の論点が、ここで効いてきます。

税理士の実務視点:このケースでの推奨 人手不足が深刻な製造業では、Aの「時間を減らす」は現場の生産力を直接削るため、推奨しません。 最も現実的なのは、Bを基本としつつ、長く働いてほしい中核パートにはCを適用し、国の保険料支援特例や助成金で最初の3年間の負担を和らげる組み合わせです。 重要なのは、保険料の負担増を「月次の試算表」と「来期の経営計画」に事前に織り込むことです。決算直前に気づくと、資金繰りと納税計画の両方が狂います。

7. よくある質問(FAQ)

Q. うちは従業員30人ですが、今回の改正は関係ありますか?

A. はい、関係あります。厚生年金の被保険者が21人以上であれば、2029年10月から対象になります。11人以上なら2032年10月、それ以下でも2035年10月には人数要件がなくなります。「いつかは必ず対象になる」前提で、今から計画的に準備するのが正解です。

Q. 「106万円の壁」はいつなくなるのですか?

A. 月8.8万円の賃金要件は、2025年6月の改正法公布から3年以内の政令で定める日に撤廃されます。具体的な日付は最低賃金の動向を見て決まるため、今後の政府の発表を確認してください。撤廃後は、会社規模の要件を満たしていれば、週20時間以上働く人は月給にかかわらず加入対象になります。

Q. 週20時間未満に抑えれば、ずっと加入しなくて済みますか?

A. 社会保険については、週20時間未満であれば加入対象になりません。ただし、雇用保険は2028年10月から週10時間以上の人が対象になります。また、時間調整を続けると人手不足と採用難を招きます。時間調整は一時的な対策にとどめ、加入を前提とした人件費設計に切り替えることをお勧めします。

Q. 配偶者の扶養に入っているパートさんが会社の社会保険に入ると、どうなりますか?

A. 会社の社会保険に加入すると、年収130万円未満であっても配偶者の扶養からは外れ、ご本人が自分の健康保険と厚生年金に加入する形になります。その代わり、将来の厚生年金や傷病手当金などの保障が得られます。ご本人の家計への影響を個別に試算して説明することが、トラブル防止の鍵です。

Q. 会社が負担する社会保険料は経費になりますか?

A. はい、会社が負担する社会保険料は「法定福利費」として全額が経費(損金)になります。個人事業主の場合も、従業員分の事業主負担は経費です。なお、個人事業主ご自身の国民年金・国民健康保険料は経費ではなく、確定申告の「社会保険料控除」として所得から差し引きます。

8. まとめ & ご相談のご案内

最後に、この記事の要点を3行でまとめます。

  • 「106万円の壁」と「51人以上」の条件はなくなり、週20時間以上働くパートは原則として社会保険に加入する時代になります。
  • 会社負担はパート1人あたり年約18万円が目安ですが、経費になる効果・国の支援策・賃上げ税制で実質負担は下げられます。
  • 「時間を減らす」より「加入を前提に人件費と手取りを設計し直す」ことが、人手不足時代に会社を守る正解です。

社会保険の適用拡大は、税金(法人税・賃上げ税制)と労務(社会保険・雇用契約・助成金)が複雑に絡み合うテーマです。税金だけ、労務だけの視点で判断すると、「保険料は抑えたが人が辞めた」「助成金の申請期限を逃した」といった損失につながりかねません。

当事務所では、税理士と社会保険労務士が同じチームで連携し、対象時期の確認から人件費シミュレーション、就業規則・雇用契約書の見直し、助成金の活用までをワンストップでご支援しています。国税の現場を知り尽くした元国税職員の税理士も在籍しており、税務面での判断にも確かな裏付けをもってお応えします。また、毎月の巡回監査を通じて、保険料の増加を試算表と経営計画に早めに織り込むことができます。

税務の判断は個々の状況によって異なります。自己判断で損をする前に、お気軽に当事務所へご相談ください。「うちはいつから対象?」「いくら負担が増える?」という最初の疑問からで構いません。貴社の数字をもとに、最適な対応策を一緒に考えます。

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